年齢=障害者家族歴な主婦のドタバタのほほん日和

重度自閉症者のきょうだい児として育ち、結婚後は軽度知的障害児二人の母になりました。障害支援分野でNsをやっています ☆

親の仕事を卒業した日(ごく一部)

先日小学校と中学校で運動会と体育祭がありました。

 

2番っ子は、なんと今年は応援団メンバーに立候補し見事合格。

毎朝早めに登校&練習を重ね、立派にお役目を果たそうと張り切っていました。

言葉の吸収が苦手故に理解力・表現力乏しく、時折見せる自信なさげな普段の姿から考えると本当によく頑張っていました。

親の贔屓目でしょうけど、立派な姿に感動ひとしおでした。

連日の競技練習だけでも十分疲れたでしょう。

その上で毎日早起きをし、自分で朝食を準備して食後の皿洗いまでして、身支度を整え、身支度しながら(おしゃべりし過ぎて遅刻ギリギリになってしまう)普段よりも10分以上早めに登校し、朝練に挑んでいただなんて・・・。

運動会当日、私は応援団の姿を後方に立ってずっと見ていました。

一生懸命な後ろ姿をたくさん見れて、母としては感無量です!!

自ら引き受け努力し達成する、主体性ある姿に頼もしさを感じた小五の春でした。

 

  • 運動会後に応援団の応援セットを洗って返却するために、自分のではなく間違えて団長のものを持って帰ってきてしまったこと(「間違えました(//>_>//)」と呟きながら自分で洗濯して干していました)
  • その後返却するために折角洗った帽子を、登校してすぐのレクレーションタイムに何故か被ってしまい、汗だくになり「洗い直してきなさ~い」と持ち帰りさせられ、帰宅後直ぐに「またやっちゃいました(///∇///)ゞ」と自分で洗濯機に入れていたこと

とかは・・・・2番っ子らしいってことで。

応援団の練習が始まってすぐは「早く登校しなきゃいけないのは辛いなぁ」と呟いていたのに、いまでは「来年は団長になりたい!カッコイイから!!」と燃えています。

う~~~~ん、さすがにそれは・・・・。

団長って全校生徒の前に立って長いセリフを一人で大声で叫ばなきゃいけないから、ちょっと君には無理かなぁ。。。

まずセリフを覚えられないでしょ。

おしゃべり好きな割には日本語もままならないから集団をまとめ上げるのもキツイだろうし。。。

でもひとの素敵な部分に気づいて、憧れや目標を持って努力しようとできることは、それ自体が尊く、とても素晴らしいことなのです。

 

 

中学校の体育祭は遠い

・・・何がって?

距離感です。

心理的なのか物理的なのか、そのどちらもなのか。 

小学校の運動会は校庭内の児童席真後ろから観覧することができました。

児童席の後方にポールがあって、保護者はそれより後ろなら居ていい、距離感は5m未満!みたいな。

しかし中学校は全然違います。

「基本、保護者は校庭に立ち入り禁止」で「主に校庭から離れた体育館や校舎横のスペースで観覧」

=生徒たちからは遠い場所。

そして「観覧スペースは超狭いから、ひしめき合いながら場所を譲り合ってね!」みたいな感じです。

生徒たちから見たら、遠くにあるアノ人集りの中の何処に自分の家族がいるかなんて分からないでしょうね。

こっちだって最初は1番っ子が何処にいるか分からなかったし。

その理由は「遠いから」ではなくて、「人集りの壁で校庭まで見えなかった」なんですけどね( ̄▽ ̄;)

まぁ、仕方がない。

中学校の体育祭は夜勤と被り、明けのフラフラな中で向かったのですが( ºωº )オツカレチャン...

早めに仕事を切り上げて駆けつけましたが、こんなんなら一時間くらいで帰ろっかな〜。

なんて考えながら、ぼんやりと観覧保護者の背中をなんかの集合体(?)のように眺めていました(๑°⌓°๑)ネム。。。ポカーン

 

 

開始して一時間程度は人集りで、三年生の競技中も校庭まで見えない状況でしたが、二時間が経過する頃には帰る人も出始めて、少しずつ前が見えるようになってきました。

目を凝らすと見える!いる!!(´◉ω◉` )オォ

なんとなく我が子はシルエットと動きだけでも気づけるものです。

ウンウン、一生懸命ついて行こうと頑張ってる。

遠目でも必死さが伝わってきます。

 

本当、いつもえらいなぁ・・・

 

そんな1番っ子の様子をぼんやり見ていると、不意に走馬灯のように(?)小一からの運動会の思い出が過ぎっていきました。

 

アニメやアイドルの曲に合わせて小さい身体で一生懸命ながらもキャッキャッと飛び跳ねてダンスをしていた低学年時代。

徒競走のよーいドンの瞬間まで緊張してガチガチだった中学年。

誘導係の仕事が上手くできず同じ係の友達を眩しそうに見ていた高学年。

そしていまでは180cmに近い長身でかったるそうな表情の割にはキビキビと創作ダンスを踊る中学生。

本当にあっという間でした。

 

小学生時代は特に理由もなく心配で、毎年1番っ子の観覧席の後方にある保護者用スペースに立ち、開会から閉会まで見守っていたっけ。

1番っ子自身、他の学年の競技中もきちんと座っていられたので、私はただ立って何をするわけでもなく話しかけたりとかもしなかったけど、とにかくそこから離れませんでした。

おかげで(?)毎年支援級の先生から「助かります」と感謝されていました。

本当に立って見ていただけなんで、手伝うも何もありませんでしたが(´▽`;) 

小学校卒業後、中一の体育祭はコロナ禍で観覧出来ませんでした。

中二の体育祭は・・・

1番っ子に長期に渡り集団でコソコソと暴力を振って楽しんでいやがった同学年の奴らが、普段どんな顔をして学校生活を送っているのか見てみようと、ひたすらキョロキョロしていました・・・。

内心怒りに燃えており、体育祭中にも陰湿な嫌がらせを受けるんじゃないかと心配で、遠くから半ば「見張る」ような感じで観覧していました。

純粋に「中学校の体育祭に臨む1番っ子」を応援するのは初めてかも。

いまさらですが、去年・一昨年は勿体なかったです。

今年は義務教育最後の年。

これでおしまい。

そう思うとなんとも言えない後悔の念が浮かんできたり・・・

 

私が高校生の時は体育祭に親が来るなんてことはありませんでした。

1番っ子が進むであろう学校はどこも小規模校だから体育祭はないかもしれない。

きっと、もう来年から1番っ子の保護者として運動会・体育祭を見守ることはないでしょう。

親として、体育着を着て頑張っている姿を応援するのも、そんな姿を見て内心「ぎこちない動きも可愛い(*´꒳`*)」とほっこりするのも。

 

もう少し見ていたかったな。

そう考えるとなんだか寂しくて、最後の演目である応援合戦をスマホで撮影しながら、画面越しに涙ぐんでしまいました。

 

私は、お金を稼ぐことでいっぱいいっぱいで、一時期はほとんど家に居ないことも多くて、そばにいてやれなくて、体力も時間も気持ちにも余裕がないこともあって、これっぽっちも理想的で素敵な母親ではなかったでしょう。

あぁでもしないと生活が成り立たなかったのだから致し方ありません。

夜勤明けの休日にお弁当を持って公園に行って遊んで帰ってきて、その日の夜に子どもたちが寝るくらいの時間に深夜勤に行って翌早朝まで働いて登校前に帰宅して、子どもたちが帰宅して夕飯を一緒に食べてからまた夜勤に行って、たまに日勤もしてとか。

一ヶ月の間に「丸一日休みの日」なんてものは、ないのが当たり前でした。

自分なりによく頑張ったと自分で自分を褒めてあげたいところです。

しかし子どもには寂しく心細い思いをさせてきたんだろうなと毎日のように後悔に近い気持ちを抱いているのも事実。

私が居なくて不安だった夜もあったでしょう。

ただ当たり前のようにそばにいて、穏やかに一緒に過ごしてほしかったはず。

それでも1番っ子が自分の足で、ゆっくりでも精一杯に、真っ直ぐ前進している姿を私はずっと見ていました。

 

でもこの日、物理的に遠い場所から眺めてみて、あらためて実感しました。

 

こんなに大きくなっていたなんて。

 

もっとたくさん抱きしめておけばよかった。

 

高学年になる頃には、抱きつこうとする私に向けて全力でエルボーをかまし、余裕な力で振り払うようになっていました。

いまさら ´。•ω(•ω•。`)モギュ♡ なんて絶対させてくれないし。

 

もう子どもではないんだな。

もうすぐ大人になるんだから。

私が親として見守るこの行事も、きっとこれで最後。

 

このスマホアプリには小一から毎年撮っていた運動会の姿が入っています。

今度ゆっくり見返そうと思います。

これは、私の一生ものの「母親として」の宝物です。

 

もっと「お母さん」らしいことをしたかったなぁ。

あとどれくらい「お母さん」をさせてくれるのかな。

頼もしい背中を見ながら、切なくもなる今日この頃です。