年齢=障害者家族歴な主婦のドタバタのほほん日和

重度自閉症者のきょうだい児として育ち、結婚後は軽度知的障害児二人の母になりました。障害支援分野でNsをやっています ☆

今年の運動会はちょっと違った

みなさんこんにちは。

先日2番っ子の小学校で運動会がありました。

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新型コロナウィルスの影響で学年ごとの時間短縮型でしたが、これはこれで良かったです。

っていうか来年もこの形で是非お願いしたいくらい!

思えば看護師のお仕事をしていると、子どもの運動会当日は決まって「夜勤入り」でした。

夜勤入りは夕方から開始です。

だから運動会を最後まで見れる!!

次の日は午前中に退勤できるから、万が一運動会当日(土)が雨で次の日(日)に予備日として開催することになっても、観覧できる!

夜勤明けの次の日は公休になるのでお仕事はお休みです。

週末運動会直後の月曜は、振り替え休日または予備日(日)も雨だった時の予備予備日でもあるので、保護者としてどちらにも対応できる!!

というわけで、運動会当日は敢えて夜勤入りにしていました。

幸運なことに、これまでは当日に雨が降ったことはなかったです。

毎年朝早起きして張り切ってお弁当を作り、無事に運動会を開催できたこと喜ぶ子供たちを何時間も校庭の端で立ちながら見ていました。

そして運動会終了2時間後にはヘロヘロになりながら夜勤入りして、這いつくばるように根性だけで朝まで仕事をこなしておりました。

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しかし今年は午前中のみで終わり!!

夜勤前に仮眠ができる!

お昼ご飯ものんびり食べられる!

早起きしてお弁当を作らなくてもいい!!

まさに天国!!!

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私はヘルペス持ちです。

そのため季節の変わり目と疲労により体力が落ちて、子どもの頃はよく上唇に水泡ができていました。

毎年運動会直後は必ずと言っていいほど水泡が複数できて、ジュクジュクして出血して・・・という状況を1か月ほど繰り返し・・・。

知り合いのお子さんは運動会後は決まって熱を出すと言っていたし・・・・。

主役である子どもにとっても休日返上1日がかりで盛り上がる運動会はきついんだな~と、今更ながらに感じる今日この頃です。

そういう意味でも、短時間型の運動会は安心して参加できるものでした。

 

昨年との違いをもう一つ見つけました。

リレーの際の、「よーいどん」のピストル音が無くなっていたのです。

あの「ぱぁぁぁぁぁぁぁん」という大きい爆発音。

担当の先生も耳を保護するために黄色いイヤーマフをつけてやっていたアレです。

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今年の「よーいどん」の担当の先生の手には、何か小さい機械が握られていました。

「ぱぁぁぁぁぁぁぁん」の音を録音した機械なのか、非常に小さい音でしたが走り出す子ども達にはしっかり聞こえていたみたいです。

先生の「よーいどん」に合わせて機械音が鳴り、バッチリ走り出していた子ども達。

歴史が変わった瞬間を見たような気持ちになりました。

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私は学生時代、ボランティアで大学近隣の小学校の運動会のお手伝いをしていました。

そこでももちろんリレーの「よーいどん」は大きなピストル音がつお決まりでした。

1番っ子の幼稚園の運動会も、これまでの小学校の運動会も、先日の中学校の体育祭も、あのピストル音が鳴り響いていました。

 

最近は聴覚過敏の子がいることはよく知られるようになってきたのに。

 

2番っ子も聴覚過敏児です。

運動会のピストル音は両手で耳をふさいでいれば我慢していられるので、特別な配慮は必要としません。

しかし打ち上げ花火とかになると、夜空を見上げて「きれいだな・・・」と言って耳を塞ぎながら涙を流していたりします。

これまでは多分すっごい我慢して家族に付き合っていたのだと思ういます。

イベント好きの我が家ですが、2番っ子の涙を見てからは打ち上げ花火大会の鑑賞はしないことになりました。

 

どの年の運動会も、周りを見渡すと待ち時間の間に泣いてしゃがみこんでいる子がいました。

大きい音も、休日なのに学校に行くことも、いつもと違う雰囲気やスケジュールで長時間過ごすことも、たくさんの保護者に見られていることも、過剰な刺激となって小さな身体で耐え切れず苦しんでいました。

すぐ横に保護者や介助の先生が座っていましたが、他に誰も近づくこともなく、誰にも気に掛けられることなくいました。

 

しかし今年は全校生徒や保護者が一堂に会することなく、少人数で、短時間で待ち時間も少なく、爆発音もなく、「なんて心が楽なんだろう」としみじみ思う運動会でした。

 

今は障がいの有無に関係なく「子供を尊重する」「寄り添う」ことが重要であるとされがちです。

「そうされていない」と当の本人たちが感じると、その対応を「みんなで責めるべき」という風潮が強いです。

「尊重」や「寄り添う」をどう自分たちの都合の良いように解釈したのか、障がい児童福祉の世界も「子どもが機嫌を壊すことのないように気をつけて対応してください」と事前に保護者から要望されることも珍しくありません。

しかし何故そんなに機嫌を壊しやすいのか、生まれ持った障がい故なのか、これまでの経験から培われた認知・表現様式なのかをはっきりさせずに、その子が機嫌を壊さない対応をすることが当たり前のよう求められます。

 

先日、リトルエンペラー症候群②についてお話しました。

リトルエンペラー症候群は後天的な行動障害です。

先天的な障がいの有無にかかわらず、誰もが等しくなる可能性のあるものです。

大人が気を遣わなければ機嫌を崩しやすい状態がこれまでの経験から培われた認知・表現様式ならば、そのような対応を更に大人が続けていくとどうなってしまうのでしょう。

結果的にその子自身は、どんどん生きづらくなっていき社会の中で孤立するか、または自分の足で社会の中に立っていられなくなってしまいます。

最近は、気に入らなければマスコミやSNSをも巻き込んで学校や施設の対応を批判しようとする、又はそのような行動を職員に匂わせる保護者が目につきます。

児童に関わる仕事をしている人ならば分かると思います。

本当にあちこちにいます。

自分達もリトルエンペラーのような大人、気に入らなければ特有の形で喚き散らしみんなにアピールしてターゲットを自分に注目させ自分の望むような対応をさせようという、分かりやすい行動をしている人たちです。

この人たちと波風を立てないように気を遣うことがまるで仕事かのようになって、他の業務が疎かになりそうで押しつぶされそうな状況が情けなく感じることも度々あります。

正直、自分の子を優遇して手厚く見させようとする保護者たちを迎合してリトルエンペラーを量産するよりも、先天的な障がいの特性により苦しみ頭を抱えて涙を流しながら我慢している子ども達にもっと気づき、もっと理解し配慮するべきなのではないかとずっと思っていました。

「尊重」とか「寄り添う」ってなんなんでしょう。

 

新型コロナウィルス感染予防が本来の目的という面もありますが、今年は何かこのモヤモヤが一歩前進したような気持ちになりました。

 

感謝感謝です。