年齢=障害者家族歴な主婦のドタバタのほほん日和

重度自閉症者のきょうだい児として育ち、結婚後は軽度知的障害児二人の母になりました。障害支援分野でNsをやっています ☆

リトルエンペラー「自分でやりたくない子」★特徴と対策★コレってワガママ?

(これは2020年4月22日の記事をリライトしたものです)

 

皆さんは「リトルエンペラー症候群」という言葉は聞いたことがありますか?

日本では浸透していないので、あまり聞き馴れた言葉ではないと思います。

しかしこの概念は、現代日本の子ども達の多くが抱える問題を的確に指摘しているのです。

どのような特徴があるのかというと

 

・自分でできることでも、大人にやってもらいたい

・自由時間に何をして過ごせばいいか分からない

・思い通りにならないと大声で泣いたり怒る。または反対に黙り込んで動かない。とにかく大人を根負けさせようと粘る

・自分の失敗も人のせいにする

・学校に対して、親を通じて自分の要望やクレームを言わせる

等々。

最近では、よく見聞きするしますね(苦笑)。

小学生以上でも、このような特徴が見られるお子さんは結構います。

今回は、このリトルエンペラー症候群についてお話しさせていただきます。

が、ちょっと長くなるので複数回に分けようと思います。

(これは1回目の記事です)

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今回は後天的問題行動のお話です

これは後天的要因に基づく心理・行動様式の概念です。

つまり経験や環境から得た結果であるという可能性が高いということです。

このブログは、先天的な要因である知的障がいや発達障がいにフォーカスを当てていますが、今回はちょっと違います。

 

理解と支援が必要な「先天性を含む問題行動」

ASDは感覚・認知の障がい

1)脳のタイプ(認知特性や感覚特性)が定型発達の人とは異なるタイプである
➡先天的要因が関係している
➡環境(他者を含む)と相互性をもちにくい
2)複雑性 PTSD と ASD の症状が類似している
➡ASD とトラウマとでは症状形成メカニズムが類似している
➡客観的には適切な環境でのトラウマ体験(主観的トラウマ体験)
➡トラウマ自体が症状に影響している
3)同じ診断名でも個人間差と個人内差(年齢による変化),つまり症状の表れ方が多様である
➡後天的要因による影響を示唆する
4)社会性(特に対人面)の発達には安定した愛着形成が必要である
➡ASDの社会性の症状にも愛着が関係している
➡そもそも社会性の発達は後天的要因が大きい
5)人間は環境に適応する(自己の欲求や安全・安心を得るための行動をとる)
➡問題行動や特性と捉えられている行動は環境への適応の結果と考えることもできる
6)環境との不適合状態が生じている
➡先天的要因により環境との不適合状態(ギャップ)が生じる(発達環境ギャップ

https://confit.atlas.jp/guide/event-img/edupsych2019/PH12/public/pdf?type=in

⇧を要約しますと、

1)ASDのように先天的な認知・感覚障がいの場合、他者や環境によって症状が左右されることはない

(特性は時と場合によって出たりでなかったりするものではなく、常にあるもの=そのひとの個性)

2)過去のトラウマ体験によって「するようになってしまった反応・行動」とASDの特性として形成された行動の発生メカニズムには共通点がある

(ASDの人も、普通に過去の経験から特性以外の行動を獲得することができる=トラウマ体験により何らかの問題行動を獲得してしまうリスク有)

3)一言に「ASD」「自閉症スペクトラム」と言っても、その特徴は一人ひとり様々。

(良くも悪くもその人となりは、これまでの経験から形成される)

4)対人関係を中心とした社会性は、育ってきた過程、特に他者との愛着形成から強く影響を受ける

(ASDは先天的な障がいで「対人関係の形成が困難」と評価されがちだが、社会性は育ってきた過程の中で形成されるもの。そもそも「人と関わる経験」なくして社会性は育たないんだから、「先天的にできない」と諦めてしまったら元も子もない!)

5)ひとは時と場合によって行動を変えられる

(ひとは何らか不安を感じた際に、自分が安心して安全にいられるように臨機応変に行動を変える。そう考えると問題行動と言われるものも、もしかしたら何らかの不安に対応しようとした結果なのかもしれない)

6)先天的な感覚・認知の障がいは時と場合によって変えられるものではない。これが生活環境と平和的に融合しないと、問題行動を生じてしまうことがある。

(一見ごく普通の状況であっても、本人の「先天的な感覚・認知の特性」には合わないこともある。それにより強い不安が生じた場合は、問題行動につながってしまうリスクUP)

 

となります。

要は「感覚・認知による個性的な行動」は、本人次第ですぐにどうこう変えられるものではない、ということですね。

また、過去のトラウマから感覚や認知に不安や歪みが生じてしまった場合、その行動が「個性」の域を脱して「問題」になることもあります。

そしてその「問題行動」は「感覚・認知」故のものなので、時と場合によって変えられるなんて生半可なものではありません

注⁑4)にある「愛着形成」は、「愛情を注がれたどうか」に限定するものではありません。「本人のために、社会に適応できるように教え、導き、根気強く見守れる存在」にも注目です。☜結構重要なポイント

 

ADHDは行動の障がい

ADHD自体には自他や状況認知に関する障がいはありません。

よって、ASDよりは社会性や対人関係を形成する潜在的ハンディキャップは少ないと言えるでしょう。

ただ、認知してから行動までの間に「先のリスクを考えてこの行動をするか否か」を考え決定する「心のブレーキ」の調整が苦手です。

「心のブレーキ」を調整するよりも先に、全力で行動に出てしまいす。

そのため「今してはイケナイ行動」をついついしてしまいがちです。

「あの状況でコレをしてはイケナイ」ということは分かっているのですが、「気がついたらやってしまっていた」。

そして本人は直後に「しまった」「またやらかしてしまうんだろう」「どうしていつも・・・」と自己嫌悪に陥ります。

「心のブレーキの調整が難しい」という特性は、他者からは分かりにくいものです。

そのため周囲から「本人は不適切行動であることは分かっているのに、きちんとしない」=「しつけがなっていない」と評価されがちです。

しかしよくよく見ていれば、そんなものではないということはすぐに分かります。

彼らは自分に降りかかるメリット・デメリット関係なしに行動し、よく失敗しています。

都合よく「いい子」になることができません。

いわゆる「目上のひと」「ばれたらやばいひと」の前でも盛大に大失敗をやらかして、しょっちゅう凹んでいるのです。

彼らの問題行動もまた、「時と場合によって変えられる」ようなものではないのでしょう。

 

「時と場合によって変えられない行動」により不適応が生じ、苦しんでいるひとたち。

支援者はそのひとたちが抱える困難を正しく理解し、環境を調整したり、(獲得できそうな)適切な行動を教えたりして、ともに社会の中で平和に生きていく手助けをしています。

 

「時と場合によって調整できる問題行動」は後天的要因が大きい

反対に、時と場合で「やる」か「やらない」かを変化することができる、いわゆる「本人の気分次第」で生じる問題行動。

この原因は「環境や経験」である可能性が高いです。

最初の方に記した「思い通りにならないと大声で泣いたり怒る。または反対に黙り込んで動かない。とにかく大人を根負けさせようと粘る」はその一例。

本人の「思い」は、時と場合によって安易に変化しますからね。

上記ASDの説明で記した通り、ひとは時と場合によって行動を変える能力を普通に持っています。

これは先天的障がいの有無は関係なく、等しく誰もが有する能力です。

問題行動を起こせば応えてくれる「誰か」がいる。

その人のおかげで、自分の思い通りになる。

だったらやるでしょう。

これは「他者や環境と相互作用を持ちにくい認知・感覚の障がい」でもなければ、「直後のリスクを考えた上で調整をする心のブレーキの問題」でもなさそうです。

何故なら時と場所を考慮し、相手を選び、その反応を見て、どうすればこのあと思い通りになるかを考えながら行っているから。

 

障がい児教育や支援の現場では、密かに様々なカテゴリー分けがされています。

・愛の手帳や療育手帳等を根拠とした「知的障がい枠」

・身体障害者手帳等を根拠とした「身体障がい枠」

・医師の診断書等を根拠とした「医療ケア児枠」

・感情や行動のコントロールが難しく社会生活に困難を抱えている「情緒・行動障がい枠」(発達障がい児枠)

 

そのなかで、端から見たら明らかに「コントロールしながら問題行動を起こしているお子さん」の相談が、時々回ってきます。

周囲の大人は「繊細だから本人も色々大変だろうけど」と前置きをした上で「感情や行動のコントロールの仕方を身につけてほしい」と希望します。

しかし同時に「本人がやりたいことだけをやらせてほしい」「嫌だということはさせないでほしい」「機嫌を崩さないように気をつけてほしい」とも要望するのです。

 

リトルエンペラー症候群の原因①:「自分でやれること」を大人がしてくれる環境

周りの大人が良かれと思い、先回りしてやってあげる。

面倒見の良い家庭では珍しくないのかもしれません。

子どもが普通にできる動作であっても、代わりにやってあげる。

私の経験上、その様な家庭のお子さんによく見られた行動として以下のものがあげられます。

(以下は動作を妨げる身体的障がいのない学齢期以降のお子さんです)

上着を着る時に手を広げて着せてもらおうと待っている

上着のファスナーも閉めてもらおうと待っている

待ちに待ったおやつの時間にお菓子の封を開けてもらおうと大人に差し出す

靴を履かせてもらおうと足を差し出す

自分の荷物でも、それは大人が持つ

自分で傘をさして歩かない

車に乗るときは、自分でドアを開けようとしない(開錠済みでも)。降りるときは、最後であっても自分でドアを閉めようとしない

荷物の準備や後片付けは、大人にしてもらう

自分でやるように言われると「それくらいやっといてよ」「いいじゃん、別に」と答える

 

①~④は、私の周囲では知的障がいが中度~重度のお子さんによく見られました。

日常生活動作の習得はなかなか難しい部分もあります。

しかし学校や療育施設で、お子さんに合った指導方法をすれば身につけることは可能です。

しかしその後も「大人がしてくれる」ことが当然という感覚を与え続ければ、自分でやるように促された途端に周りが驚くような勢いで癇癪を起したりもします。

⑤~⑨は、知的障がいがほとんど目立たない、またはないであろうお子さんにもよく見られます。

⑤⑥は促されるとハッと気づいて自分でやる子も多いですが、⑦以降は指摘されても意地でもこんな感じです。

⑧は、学校で忘れ物をした際に

「お母さんがちゃんと準備しなかったから」と「自分はむしろ被害者」的な主張することも珍しくありません。

また、施設でのお弁当持参日に「食後は弁当箱洗いを洗いましょう」と事前に促すと、職員さんが気付く前にすごい早さでお弁当箱を鞄に片付ける子もいます。

普段はおもちゃの片付けや自分の荷物の整理もやろうとしないのに。

また、ほんのひと齧り分だけ残して「家に持って帰って食べるから洗わない」と言い張る子もいます(腹壊すぜ!)。

施設のコップやお皿を使ったときは、みんななんだかんだで洗うんですけどね。

なにがなんでも「自分の面倒はおうちの人にやらせるんだ」という強い目的意識の表れの見え隠れしています。

 

①~⑨はどれも、普段から大人がいつの間にかやってくれているのかな?

このような行動が受容される環境にいると、「いま自分は何をすべきなのか」「何ならできるか」を考えるアンテナ=自主性は伸びないでしょう。

自主性が育たなければ「自分でやるよ!」という言葉や行動も出にくくなります。

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小学校に入ると幼児期に培った「自分のことは自分でする」という能力を発揮しつつ集団生活に適応しなければなりません。

障がいの程度が重いお子さんは、根気強く繰り返し自立指導を受けながら小集団への適応を目指します。

しかし障害の程度は関係なく、「自分のことは大人にしてもらう」環境に身を置き続けるお子さんは、当然ながらいつまで経っても集団生活に馴染むことはできません。

集団にいても「大人がやってくれていたこと」を自分でしなければならなくなった現実に戸惑いを感じます。

そして一時的に不安定になってしまうこともあるでしょう。

親御さんもそんなお子さんの姿を見たら、切なくなってしまうかもしれません。

しかしここは耐えましょう。

 

支援をする側は経験があればあるほど、「相手の本当の能力」を見極めることができます。

「時と場合によって変えられない」の根拠がないものにまで、手は出しません。

 

現実は厳しくないけど、望むほど優しくもない

「分かっているけどやらない」「出来るけどやってもらう」が当たり前のような状態だったら、当然周囲からは助けてもらえません。

ほとんどのお子さんが、将来は親亡きあとも生きていくのです。

お子さんへの対応で納得いかないことがあれば「我が子の代わりに親が、意見を言って変えさせればいい」という考えもいつかは通用しなくなります。

年老いて体力や認知・判断力がなくなれば、支援者に対して強気な態度も勢いをなくさざるを得ません。

「ずっと守ってあげる」と幼い時に誓っていても、お子さんが中学生くらいになって見た目が子どもじゃなくなれば、大抵の親は揺らぎます。

そしてその頃になると、周囲に支援を求めても相手にしてもらえなくなるのです。

幼児期・学童期までの教育・福祉現場は、なんだかんだで働き手がいます。

しかしそれ以降の現場は、どこもかしこもとんでもないくらいの人手不足です。

福祉施設なんて求人を出しても応募はなかなか来ないし、来てもすぐに辞めてしまいます。

人材の育成どころか定着すらままならないところがほとんどです。

「できることをやらないひと」の対応をするための時間や人員の余裕なんて、喚かれようが騒がれようが、何処にもありません。

いつまでも幼い子どもじゃないんだから」と突き放されるかもしれません。

そのときにお子さんが困らないように、また親御さんも途方に暮れることのないように、早いうちから忍耐をもって根気強く「自分でできることは自分ですること」を教えてあげましょう。

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「自分でしない」デメリット

普通級にいるお子さんへの支援は、そもそもありません。

小学校は「自分のことは自分でする」が普通の場所だからです。

そのなかにリトルエンペラー状態のお子さんが入ると、一体どうなるでしょうか?

彼らは、「いま何をすべきか」はきちんと認知できます。

大人が優しく噛み砕いて言い聞かせてきてくれたので、知識は習得しています。

しかし知識を習得しても、やってもらってきたので、それを体現する機会はありませんでした。

そのため適切な行動をとるように自分をコントロールできません。

そして「これまでと同様に大人にやってもらいたい」「自分の面倒をみてほしい」という欲求や願望を抱えているので、それが叶わないと不安や葛藤状態に陥りやすいです。

同級生たちと自分の「適切にできる行動」の差も感じ取り認知できるので、少しずつ自己肯定感が低下し、同年齢での集団生活に自信を失っていきます

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また、「自分でやろう」という気持ちの少なさから「努力する心」が育ちにくい状態になっています。

そのため興味や憧れを持っても、それを実現したり獲得するための「地味な努力」を回避しようとします。

地味な努力の必要性に気づくと、すぐに関心が薄れてしまうのです。

興味・関心を持って取り組めるものが少ない状態は、自由時間に何をすればいいか分からない状況を生みます。

そうなると身近な大人(主にお母さん)のあとをつけ回しては、「暇~」「つまらない」と不満そうに訴えるようになるのです。

「じゃあ、何かしたいことはある?」と聞かれても、「大人に準備してもらう・やってもらう」ことが多かったため、「自分で考える」ことは難しいようです。

コレと言って答えることは、できません。

大体の場合は満足いくような対応を得られず、欲求不満が募っていきます。

「自分でなんとかしなよ」と突き放されることもあるでしょう(大人は突き放したつもりはないかもしれませんが)。

次第に現実の中で思い通りにならないことが増え、欲求不満はどんどん膨らんでいき・・・・。

その結果、刺激や達成感を得やすいゲームやインターネットの世界にのめり込んでいくようになってしまいます。

特にネットゲームや動画、SNSは、ほぼ無料で次から次へと新しい刺激を得られます。

急激な高揚感も獲得できます。

現実の世界にはない自己有能感を感じたりもします。

あっという間に依存状態の完成です。

しかしどんなにのめり込んだって人間の脳は慣れるようにできています。

あれほど最初はドキドキワクワクしたゲームも、段々「やっぱり暇」「まえみたいに面白くない」とプレイしながら感じるようになります。

そしてゲームをしながら「暇なんだけど」とアピールするようになるのです。

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あと、欲求不満に陥ったお子さんは、よくそばにいるひとに八つ当たりやマウントをします。

近づいて来たと思ったら突然屁理屈をこねて困らせたり、わざと不快な挑発行為をしだしたり。

その相手は決まって、「戸惑いや不快感で自分に注目してくれそうなひと」「八つ当たりもマウントも受け入れてくれそうなひと」です。

「やんわり窘めてくれる」「言うことをきいてくれそう」と期待されていたり、「反撃してこない=八つ当たりしても自分は安全なまま」と見なされています。

された側は、当然理不尽な主張や行動に静かな怒りや動揺を感じます。

そして頻回であるほど疲弊するのです。

 

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大人がやってくれる環境で育ったリトルエンペラーの特徴

以上をまとめると、このような環境で育ったお子さんには以下の特徴が見られるようになります。

①自発性や意欲の欠如

②過度に受動的

③地味な努力が苦手

④ひとに面倒をみてもらいたい、どうにかしてもらいたい

⑤ひとにやってもらって解決してきたことによる自己有能感の高さと他者への見下し

⑥何かをしたくてもやりたいことがなかなか見つからない

⑦察してもらえないことへの強い不満

⑧安易に得られる刺激への依存

⑨無力感からくるイライラと八つ当たり

⑩自己肯定感の低さを消すためのマウント行為

 

これらの行動は「いっぱい応えてもらえば満足して、解消する」というものではありません。

なぜなら、いっぱい応えてもらったところで根本的な問題は何も解決しないからです。

特に「見下し」「八つ当たり」「マウント」は一時的な高揚感を生じさせるもの。

彼らは安易に刺激を求め、それに没頭している間は安心感を感じることができます。

そのため安心感が薄れると再度高揚感を求め、「見下し」「八つ当たり」「マウント」を繰り返すようになります。

結局終わることなく慢性化していくのです。

だから神経をすり減らしてまで応じてあげる必要は、一切ありません。

 

ゆくゆくは、当然その言動・行動は他人や組織から否定され受容されなくなるでしょう。

それでも義務教育時代は、学校は「理解しよう」「受け入れよう」という姿勢は示してくれます。

しかしそれはあくまでも「お仕事の一環」だからです。

やらなければならない仕事は山ほどあります。

生徒はその他大勢います。

その子たちを後回しにして、リトルエンペラーへの対応に多く時間を割くわけにはいかない。

なので問題解決への手厚い対応を望んでも無駄です。

ましてや義務教育終了後は・・・

未成年であっても子どもではないんだから、構うことはしません。

数年後には「あ~・・・、あの子ね。そういやいたね。結局そんな風になっちゃったんだ」と、思い出の先生に言われるのがオチです。

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Let’s「やる」練習

自分で努力して、社会のルールをきちんと守り、自分を認め、ひとと関わって生きていってほしい。

親として当たり前の願い。

これを実現するためには、日頃から身の回りの世話は自分でしつつ、対人関係や社会生活で必要な心得を身につけ行動できるようにする必要があります。

お子さんへの対応にお疲れ気味の親御さんは「言い聞かせて理解させても、どうせ本人は行動できないんでしょ」と感じるかもしれません。

しかしそのようなお子さんでも、「掲示されているポスターに書かれている教えは守り、行動できる」ということが結構あるのです。

不思議なんですがこれはよくある話。

俗にいう「視覚支援」です。

こちらの絵本は、人とのかかわりや集団生活の中で大切なマナーやルールを1ページごとに教示しています。

絵はシンプルながらも親しみやすく、大きく描かれているため目を引きます。

日々少しずつ読み聞かせをしてみたり、お子さんの課題にあったページをコピーして壁に貼っておく等、家庭支援に活用できそうです。

こういうものを使用して様子を見てみましょう。

そして「お子さんがやっている場面」を見かけたらすかさず褒めてあげましょう。

「社会性の発達は後天的要因が大きく」「人間は環境に適応する」。

そのひと声が、対人関係や社会生活への自信につながるかもしれません。

 

あと自分の世話の一環として、「自分が使用した食器ぐらいは自分で洗う」もおすすめです。

ほったらかしを注意しなくても、洗わないで放置していれば「次の食事は盛り付けできません」で通せばいいのです。

「食事意欲はあるお子さん」には有効ですよ。

「床に散らかしたままにしているものを片付けなければ、食事を並べません」もいいですね。

そのうち「自分で盛り付けて」や「自分で並べて」も同じ感覚でできるようになりますよ。

 

また「そもそも社会性の発達は後天的要因が大きい」という冒頭の言葉もあることから、「家庭外の人とも適切な関係を築く」ように促した方が良いでしょう。

子ども時代の重要なテーマに、「子ども同士で楽しみながら友人・仲間関係を形成する」というものがあります。

しかしリトルエンペラー状態のお子さんは、自分の面倒を見てくれそうな大人に依存し過ぎるが故に、同年代の子どもたちへ劣等感を抱いています。

そのため彼らとの間に、心理的な壁を作ってしまいます。

 

「自分でやりたくない子」へおすすめの習い事

リトルエンペラー状態のお子さんから見た「自分の面倒を見てくれそうな大人」とは、察して行動してくれるタイプ、つまり「面倒見の良いひと」です。

察してくれるので、はっきりと言葉で要求する必要はありません。

察してくれない時は、より強いアクションをしてアピールすればいいだけ。

それが冒頭の「思い通りにならないと大声で泣いたり怒る。または反対に黙り込んで動かない」です。

リトルエンペラー状態のお子さんは強い意志を示しはっきりと主張しているように見えますが、実はそうではありません。

例えば、学校関係の探し物が見つからないときに彼らは「○○がないんだけど」と大人に訴えます。

しかし「探してほしい」という交渉はしません。

大抵の大人は忙しいです。

他のことをしていて、すぐに動いてくれません。

自分の焦りにすぐに共感し応えてくれるひとなんて、滅多にいないでしょう。

このように察して動いてもらえなければ、すかさずワンランクUP。

相手のそばで「もうだめだ」「見つからない」とパニック風になってみたり、物を乱暴に扱い物音を立てる等して、相手に気づかせようとします。

これを繰り返していくのです。

そして相手が察し仕方なく応じてくれると、自分は探してくれる大人のそばで遊んでいたり、適当に探しているふりをして、相手が見つけ出すまで待っています。

この例は、要望を伝え「一緒に探してもらえないか」と交渉するやり取りとは全く違うものです。

短絡的な言葉とオーバーアクションを繰り返すことにより、相手に察してもらい根負けさせ、代わりに探させようとしているだけ。

交渉は、対人関係において必要なルールやマナーのもとで行うものです。

リトルエンペラー症候群のお子さんは、「ルールやマナーありきのコミュニケーションをする練習」に取り組む必要があります。

 

「友人・仲間関係を築くことが難しい」状態を考慮した上で、「ルールやマナーありきのコミュニケーション」にアプローチ。

それならば、先ずは大人(他人)と相互的に良好な関りを持つ練習から始めた方が良いでしょう。

自分だけが「一方的に良い」関係ではなく、「相互的」な関係です。

子ども向け教室の先生は、大抵は優しいはず。

だからコミュニケーションの練習にはうってつけな存在です。

でもいきなり同室でマンツーマンで始めようものなら、優しそうな大人をコントロールしようと短絡的な言葉やオーバーアクションをし始めるかもしれません。

そんな子がやってきたら先生も驚いて習い事どころではないでしょう。

なので最初は、一定の距離感を保って交流できるオンライン教室がおすすめです。

最近は面白そうな習い事が増えました。

下記は無料体験もできるので、導入しやすいかと思います。

 

プログラミング

マンツーマンでプログラミング学習【Tech Kids Online Coaching】

小中学生専門のゲームプログラミングスクール【アンズテック】

マインクラフトが学びに変わる!?楽しく学ぶ!【D-SCHOOLオンライン】

英会話

マンツーマンで楽しい子供向け英会話【 hanaso kids】

ゲーム感覚で英語レッスン【NovaKid】

安心の価格、納得のレッスン、子ども専門英会話【リップルキッズパーク】

オンライン・インターナショナルスクール【Global Step Academy】

 

自宅でオンラインなら、最初はそばで様子を見守ることもできます。

日常の中で、楽しくマナーやルールあるコミュニケーションを積み重ねながら、社会性を成長させていきましょう。

きっと家の外の生活にも、前向きになれるはずです。

続く↓↓↓

「自分でできることは自分でやる」「自分のことは自分でやる」に関連する記事はこちら↓↓↓

自己肯定感に関する記事はこちら↓↓↓