年齢=障害者家族歴な主婦のドタバタのほほん日和

重度自閉症者のきょうだい児として育ち、結婚後は軽度知的障害児二人の母になりました。障害支援分野でNsをやっています ☆

思春期系知的障がい児のストレス耐性と今後の成長

祝・思春期~!!

3か月後には中学生になっている1番っ子。年齢的には前思春期真っ最中です。 

今までは私服で学校に通っていましたが、これからは制服を着るのです。

幼いころからいつも見ていた「制服を着ているお兄さん・お姉さん」に今度は自分がなる番。

いままで自分を守ってくれた小学校の先生たちから巣立ち、中学生として新しい一歩を踏み出すのももうすぐです。

身体もこの1年で急激に成長し、いつの間にか身長も私の背を超えてしまいました。

新生活にきちんと順応できるのかという不安を感じると共に、なんだか頼もしくもある今日この頃。

軽度知的障がいを持つ1番っ子も同様に心身ともに変化を自覚しているようです。

最近は私との会話には上の空で言葉少なげだったり、質問しても返答の声が小さかったり・・・・。なんだかこれまでに感じたことのない親子の距離感が生じてきました。

子どもが思春期に入ることで, 身体的にも大人としての機能を身につけるに従い, 親は徐々に子ども扱いができなくなってくる. つまり, 子どもが思春期に入ることで, 親の子どもに対する接し方も変化することが考えられるのである.身体的な変化に加え, 子ども自身の意識の変化も重要である. 思春期になると, 子どもの中で独立心が徐々に芽生え, 細かいところまで親に指示されたり, 注意されることに抵抗を示すようになる. 思春期になり, 子どもの反応に変化が出てくると, 親の養育行動のあり方も修正を余儀なくされるだろう(3)

file:///C:/Users/%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%9F%E3%81%BE/Downloads/syafuku117-04suemori.pdfより引用

「軽度知的障がいを持つ1番っ子に親としていま何をしてあげられるか」を毎日のように考えていますが、思春期は特に親心から一方的に本人にあーだこーだと理想論や説教をするのはよろしくないようです。

発達障害者の思春期の支援のためには、 特性のアセスメントのみならず環境の影響や二次障害を踏まえた包括的アセスメントが重要とされるになかでも親子関係のアセスメントは、生育歴や思春期の親離れ・子離れといった発達課題をめぐる問題を検討する上で重要といえる。発達障害者の親子関係では、子どもの特性の理解や受け入れの難しさから、親が子どもへの対応に迷い、不安定な親子関係が長期的に続くと指摘されている5)。

https://www.my-kokoro.jp/books/research-aid-paper/vol53_2017/pdf/mykokoro_research-aid_paper_53_08.pdf#search='%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F+%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E5%85%90'より引用

1番っ子がまだ幼いころは、知的障がいがあるために色々な困難がありました(いまもあるケド)。幼稚園の頃は友達関係の形成能力が低く周囲についていけなかったし言葉が出ないため代わりに手が出てしまうことがあったり、小学校低学年時代は片言に話せるけどコミュニケーション能力の低さからからかわれ非難され・・・。

www.mosikasitara-iina.work

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「壁にぶつかる経験」は思春期のストレス耐性を高める

まだ幼さが心身共に目立つときは、「これ以上この子が傷つかないように守ってあげなきゃ」と母性本能よろしく強く思う場面に何度も出くわしました。

だから一時期は少し過保護に関わってしまっていたかもしれません。 

でもどんどん大きくなっていく1番っ子を見ながら、「いつまでも誰から見ても幼く頼りない子=守られる子でいられるわけではないよな~」と感じることが増えていきました。

しかもこのままじゃ、数年後には「他人と色々な感情を交えた関りが少なかった分、コミュニケーション能力は発展しなかった」「自分の失敗や周囲の些細な反応に傷つき、ひとと付き合うことを恐れる」状態に陥るのではと逆に不安になり、『脱☆守ってあげる親』宣言をしました。

宣言後、しばらく1番っ子は私の変化にやや戸惑い気味でしたが、なんとかお互い頑張って年齢相応に近いかたちまで自律することができたかなと思います。

「挫折や幻滅を味わうこと,傷つけられることを極度に回避する傾向」から,幼児期から児童期の子どもたちは,親から大切に育てられ,傷付くことや失敗に慣れていないことがキレる大きな要因であると考えられる。また,思春期(前思春期)に入った子どもたちは,親と一定の距離を保とうとするが,経験の未熟さや経験不足などから,ささいな事に傷付き,つらい思いを経験する。しかし耐性が低いためか,強く深く傷付く事が多く,大きなマイナス経験・体験として増幅されてしまう。そうした子どもたちは,自分を被害者的に受け止め,自分の存在価値までも,否定・拒否されたように思うものと考えられる。

http://www.ypec.ed.jp/center/kenkyukaihatu/kiyou/H17/gensoudan1.pdf#search='%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F+%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AB%E5%BD%93%E3%81%9F%E3%82%8B+%E7%A0%94%E7%A9%B6'より引用

一時は過保護にされていたとは言っても1番っ子は元々そこまでか弱いタイプの子ではなく、しっかり親子喧嘩をします。特に父親とかなり強気な態度で怒りまくります。

私でも辟易するくらい口が達者な父親に対して、感情が高ぶると言葉が出づらい1番っ子は「ムー」とか「フー」とか言葉ではなく音声で抵抗します。

それによりお互いさらに火に油を注ぎ合い、益々ヒートアップ。ヤレヤレ、うるさい(呆)

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直後、壁やものを叩く1番っ子。

言葉に出来ない感情を発散しているように見えます。

「上手く気持ちを相手に伝えられなかった分が行動に現れてしまうのかな」と思われやすい行動です。

落ち着くように、先ずはクールダウンをするように誘導しそばについてなだめてあげたくなります。

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しかし、ちょっと待ちましょう。この行動、実は違う意味があるのです。

それは↓↓↓

「キレる」ことによる児童生徒の利点
(1)存在確認手段: キレることそのものが存在確認の手段の一つ「キレて暴れて,家の物を何か壊したり,だれかを殴ったりする。そうすると周りの大人,両親や家族がびっくりして,ある一部の人たちは言うことをきくようになってしまう。つまりキレて暴れたりすることによって,彼らは家族や両親を支配できるようになり,自己顕示欲を満たすことができる。
(2)共生関係
キレて暴れたりする行為により,母親はそれに反応して,従属するようになる。そうすることによって赤ん坊の時の共生関係が再現される。赤ん坊が「ギャーッ」と泣くと,その様子を見て周りの大人は,この子はおなかがすいているのか,おむつを替えたいのか,眠いのかなど推測して対応する。子どもの状況を推察して,大人が気持ちのよい状態にしてくれることを共生関係と言い,暴れないようにするには,どうすればよいかと大人は考え始める。親が先回りをして状況を作ってくれると,乳幼児期の再現のような形になる 。「キレる」ことは,そうしたも のを取り戻そうとする心の一つの表れともいえる。

http://www.ypec.ed.jp/center/kenkyukaihatu/kiyou/H17/gensoudan1.pdf#search='%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F+%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AB%E5%BD%93%E3%81%9F%E3%82%8B+%E7%A0%94%E7%A9%B6'より引用

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そうなんです。「自分の行動に注目してくれそうな人に対して一生懸命【ほら、なんとかしてよ☆アピール】をしている図」なのです。

低学年の頃まで「上手く伝えられない葛藤から不安定になる1番っ子の行動」から、私が気持ちを受け取り率先して応じていた名残からくるものなのでしょう。

毎回観察していると、けんか相手から見えないところに移動はするんですが、周囲に聞こえるような音に立てようと叩いたら大きな音が鳴りそうな箇所や物をきちんと選んでいるし。

言葉にできないタイプだと長らく油断していましたが、周りの人間を動かそうとよう考えられているわ。まったく。

「自分の気持ちを受け取ってほしい」⇒「受け取ってくれた人がこの状況を少しでも自分に都合のよいようになんとかして」「自分はこれ以上何もしないけど、黙っていてもその人が解決してくれたらいい」⇒「言われなくても自分の為に御膳立てしてほしい」という気持ちが見え隠れしています。

 

我が家の場合、どのように壁に向い合わせたか

なので私は知らんぷりしちゃいました。

人になんとかしてもらおうと、ものを殴ってアピールするなんて意味のないこと。

って言うかダメ。

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器物損害です!安易にそんなことするんじゃな~い!!

なだめたり逆に叱ってみたり、いちいち応えていたらめでたく1番っ子の御膳立てしてよ☆アピールを取り敢えず受け取ってくれるひと認定されてしまいます。

受け取ってしまったらこの行動はどんどん強化・定着化していってしまうでしょう。

なので絶~対、知らんぷり!!をきめこんできました。

思春期の子に親が厳しく「あーしろ、こーしろ」言うのはよくないようですし、どちらかというと「自分で考える」機会を設けて見守る方がいいみたいだし。

それならいっそ、こういう時は距離を置いた方がいいってことでしょう。

国内の先行研究を検討すると, 全体としては, 親の統制が高まるほど, 思春期の子どもの心理社会的特性が低下する傾向がみられた. したがって, 親の厳格的統制は思春期の子どもの心理社会的特性を低下させるものと予測される.

file:///C:/Users/%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%9F%E3%81%BE/Downloads/syafuku117-04suemori.pdfより引用

功を成したのか、最近は大きな音を立ててアピールするのではなく静かに別室に移動し本を読んだりして自力でクールダウンする姿が見られるようになってきました。

別室で整理整頓をしていたら、気付かないうちに一番っ子が無言で部屋の入り口に立っていてビックリしたことも。

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「お父さんとけんかしたの?」と聞いても無言でうなづいてそれ以上は何も言いません。

そのまま部屋の隅に行って静かに本を読んでいましたが、夕飯の頃になると自分から平静状態になってリビングに戻ってきていました。

「誰かになんとかしてもらおう」とする行動がなくなり、自分で問題に向かい合おうし始めたのです。

但し自分で解決できるほどの論理的思考力はないので、クールダウン後に「しつこくない程度に一緒に考える」という関わり方が「思春期の親子」らしい形かなと思い、様子を伺いつつ話し合っています。

家庭や学校で,大人たちからネガティヴな感情とポジティヴな感情が,同じ比重で大切なものであると扱われることによって,二種類の感情を隔ててしまう壁は低くなり,身体と認知(言語)の領域がつながりがもてるようになる。そのような状態になると,不快な感情の時にはキレることを選択せずに表情で不快感が表現できるようになって,非言語的表出と感情が一致してくる。そうなると,道徳などで学習した認知の領域の情報が,身体からあふれてくるエネルギーとのバランスをとり,感情をコントロールすることができるようになってくる。

http://www.ypec.ed.jp/center/kenkyukaihatu/kiyou/H17/gensoudan1.pdf#search='%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F+%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AB%E5%BD%93%E3%81%9F%E3%82%8B+%E7%A0%94%E7%A9%B6'より引用

おかげで親子の会話もちょっとだけ増えます。

思春期とはいえ、距離を置かれようとすると母は寂しいので少しでも機会があれば近づこうと様子をこっそり伺う今日この頃です。

家族間のコミュニケーションは、この時期の感情の安定にも効果的みたいだし。

というよりも、コミュニケーションを取ってくれないと母は寂しいのです!!! 

日常的な家族とのコミュニケーションによってキレる割合が変化しており,家族とのコミュニケーションがよくとれている子どもはキレる頻度が少ないことが示された.逆に 「家族と全く話をしない」と答えた子どもは,過半数が「よくキレる」と自己認識している.これは,思春期の子どたちに対して,家族がコミュニケーションを頻繁にとれば,キレる頻度を抑えることができるということを示唆しており,家族との会話の重要性が強調される.

http://www.ypec.ed.jp/center/kenkyukaihatu/kiyou/H17/gensoudan1.pdf#search='%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F+%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AB%E5%BD%93%E3%81%9F%E3%82%8B+%E7%A0%94%E7%A9%B6'より引用 

結局のところ、「1番っ子、もっと母とお話ししようよ!」と思春期の親らしい寂しさを感じている私のつぶやきなのでした。

おしまい☆

おまけ【愚痴】

「御膳立てしてよ☆アピール」の補足です。

 幼時期や児童期には,周囲の大人たちが,おぜん立てしてくれるレールに乗ってさえいれば,自分自身がどうしたいとか,こうしたいとかいちいち考えなくても,状況が整えられて目の前に提示された。ところが,思春期になると,進路などで自分とは何かという課題に対して直面せざるを得ない状態になる。加えて,自分がわからないという感覚を抱えていたりすると,自分でもどうすればいいのか決められなくなってしまい,そのことから大きな不安が喚起される場合も生じてくる。不安に加え,自分自身の存在を確立できない苛立ちから,過剰防衛が働いて,キレることにもつながってくる。

http://www.ypec.ed.jp/center/kenkyukaihatu/kiyou/H17/gensoudan1.pdf#search='%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F+%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AB%E5%BD%93%E3%81%9F%E3%82%8B+%E7%A0%94%E7%A9%B6'より引用

これ、珍しいケースではないです。結構多いですよ。もしかしたら現代病ではないでしょうか。

ちょっと話は逸れますが、障がい児相談支援の現場にいると最初に利用者さんは親子で来所し面接するですが、入り口で「やっぱりやだ。ここには入りたくない」と泣き喚くお子さんがそれなりにいます。

泣き喚くのは小学校低学年くらいが多いかな。時々思春期以降のお子さんでひたすら「ヤダヤダヤダ」みたいな拒否的言葉をソッポ向いて棒読みで繰り返し動こうとしないこともあります(低学年くらいまでなら抱っことかもできるんですけどこのくらいの年になると親でも物理的には動かせませんからね)。

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出発前に「どこに行くか」を説明して納得してきたというのですが、到着すると建物に足を踏み入れようとする瞬間やスタッフを見かけた途端そのような行動が始まります。

そこで親御さんはあの手この手で言い聞かせようとするんですが・・・

・終わったら〇〇行こう

・ちゃんと出来たら▼▼食べに行こう

・お話出来たら◇◇買ってあげるから

お子さんの都合の良い条件を次々と提示します。如何にお子さんが気分良く行動できるかに苦慮している様が毎回目の前で繰り広げられるのです。

最初は応じずに「いやだいやだ」と答えるお子さんも条件をどんどん格上げしてもらえるので、ほとんどのお子さんが最終的には渋々応じます。かなり不満そうではありますが。

でも応じるときにニヤッと笑うお子さんがいるんですよね・・・。

喚くときには俯いていたりソッポを向いていたり親御さんに抱き着いていることが多いので大体は当事者方は気付きませんが、時々我が子がニヤッとした瞬間に気付く親御さんもいます。

しかし「いま笑ったでしょ、分かってんだからね」と親御さんに言われると、再び振り出しに戻り大声で喚き始めるという悪循環・・・。

とにかく状況が自分の有利になるように先回りや御膳立てを他者に過剰に求めることが定着化してしまって、本来自分はこの状況でどのように行動すべきかを考え実行する練習を積んでいないようなのです。

ニヤリがなくてもチラチラとスタッフの様子を瞬間的に何度も見ていたり、流ちょうな言葉で自分の気持ちや正当性を極端なかたちで主張している姿を一歩離れたところから観察していると、(この子、内心はどのように行動すべきかは分かっているんだろうな)という印象を受けます。ぶっちゃけ。

あくまでも私の経験から来る考えなのでエビデンスは提示しませんが、結構な割合で彼らの中から小学生のうちに「学校に行きたくない」と家庭で強く主張し始める現象が目立ちます。

幼いうちから大人とのコミュニケーションは上手に取れることも多く幼児期はそこまで問題はなかった、知的な能力も目立つほど低くはないので「まさか」「どうして」と親御さんは混乱します。

要は今まで自分の都合の良いように御膳立てしてくれる人がいたのに小学校に行くと問答無用でその人たちから離れなきゃいけないし、集団生活の中でそのような対応はしてくれる大人なんていない(支援級でも先生一人につき学年やクラスが違う複数の生徒たちを受け持っているので、これに対してはいちいち対応してられません)・周りの子たちは当然御膳立てなしでも自分で行動できるから孤立化し自尊心が否応なしに落ちてしまうのです。

いくら御膳立てしてもらおうとアピールしても無駄な状況から無力感に囚われ不適応に陥ったお子さんは、これまで同様に御膳立てしてくれる人がいる「家庭」という場所に安息を求め不登校を選択します。

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不登校には色々なタイプがありますが、このタイプは御膳立てしてもらえる状況が当然のものとして幼いころから染みついています。不登校という状態が何日続こうがそれが普通の状況でり、逆に学校で無力感を感じる状況の方が異質なものとして受け入れられないのでしょう。そして「自分はこのままでいいのだろうか」という不安や焦りもあまり生じません。

そのため不登校状態になると慢性化・長期化する傾向にあります。

フリースクールや通所施設等の学校以外の社会資源も本人にとってはメリットがありません。

親御さんも学校側も、いじめなど明らかな理由があった訳ではないのに何故このようなことになったんだろうと最初こそ困惑したり環境の中に極端な原因特定をしようとします。

しかし慢性化・長期化により学校はお子さんから少しずつ距離を取り始め、家族のみが疲弊・孤立化していく状況に陥ります。

御膳立て状況が続けば続くほど社会資源が介入しても根本的な解決はどんどん難しくなっていきます。

色々な社会資源を利用しながらもどれも長続きしない経験を重ね、最終的には「小さい頃から癇癪が多かった。繊細な気質なんです」「感情障がいがあるんです。だから本人に合わせて支えてあげて下さい」=「この子が満足するような支援をしっかりやって下さい」に落ち着くことが多いかな。

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・・・・しかしこれって先天的な気質や障がいによるものなのでしょうか?

確かに知的障がいや発達障がいを抱えるお子さんは幼少期にコミュニケーション等社会性の困難を抱えていることが多いですが、これが原因ではないと思うんですよね。

この困難による状態から如何にお子さんの気持ちを上手く切り替えさせようとして、御膳立て誘導していたことによる後天的・二次的障がいかと。

結局御膳立て行動自体を断ち切るのが一番早いような気がします。

お子さん自身を療育施設に通わせる前に親御さんのカウンセリングを・・・・・

でもそんなことを直接本人や親御さんに伝えると大変なことになるでしょう。

いや、伝えなくてもこのようなケースは大変なことは多いですよ。直接支援側のスタッフ達も辛そうです。福祉の仕事だからってそこまで求められても困るっていうか・・・。

まぁ、どのように大変かはご想像にお任せします・・・。