こんにちはー!
お久しぶりです✩.*˚
最近ブログから遠ざかっていましたが、みなさん元気にされていたでしょうか???
こちらはいまのところ家族みんな元気です。
o(^u^o)(o^u^)oo(^u^o)(o^u^)oU•ﻌ•U
ただ、やはり仕事がキャパオーバーだったり、1番っ子のサポートや2番っ子のフォローで毎日が慌ただしく過ぎていきます。
ブログを継続する余裕もなく・・・(¯―¯٥) ՞ ՞ ՞
気にかけて下さった方々、ありがとうございます゚・*.✿Thank you.✿.*・゚
私は大丈夫です、ハイ。
少し前のブログは1番っ子のいじめに関する内容が中心ですね。
あの内容で中断してるとただの恨み辛みネタでしかない((( °ω° ;)))
いつかはきちんと書ききりたいと思っています。
恨み辛みじゃなく「本当に書きたいこと」は他にあって、そこに辿り着く為にはこれまであったことをさらに書いていかなきゃいけなくて・・・。
「さらに」トイウコトハ
まだいじめがあったんかい(汗)って感じなんですが、中学生の方が中学生だからこそ、もっと明らかで分かりやすいヤツがあってですね。
でも大人の目をかいくぐるスキルは上達している為により悪質で慢性的でですね。
小学生の時よりも口達者で誤魔化す術も身につけいますしね。
大人が介入しづらいことをいいことに、自分たちの不安定さを埋め合わせる為にネチネチと毎日毎日やってきたわけですよ、はぁ。
障害を持っている子をターゲットにするとか以前に、「他人を踏みにじって自尊心を維持しようとするのが、やっぱり子供の世界でもソコソコいるもんだなぁ。うん、ほんとソコソコ」と1番っ子を通じて実感できたわけです。
相手に障害があるからいじめるのではなく、そのなかにある特性のひとつが自分たちのいじめ行為を露見させにくいという都合の良さにつけ込み、いじめ行為を共にする仲間を呼び寄せ、仲間といじめを通して結束することにより不安定な自己を支え、低い自己肯定感にその場限りの優越感を与えるのでしょう。
いくらいじめ行為を繰り返しても優越感はあくまでもその場限りなので、日常的にそれを感じる為に執拗に繰り返し周囲の大人にバレないように気をつけながら慎重に繰り返すのです。
内心見下す程度に留めておけばいいのにさ。
でもそれじゃあ「お仲間」を見つけて呼び寄せることはできないか┐(´д`)┌ヤレヤレダゼ
ところで、場合によっては慎重どころかわざと目立つようにする真逆なタイプもいたりします。
子どもは①安定した毎日を送れる「安全感」と②受け入れてもらえている・認めてもらえている・一緒にいても離れていても見守られている「安心感」という土台をごく幼いうちに形成し、自分の足で立ち前に進む力を培っていきます。
現代日本では①は得やすいのですが、大人ですら厳しい世の中において②はなかなか得難い面があります。
幼児期後期になると「心の存在」に気づき始め、いかに相手の注意を自分に向けるかを考えられるようになります。
どう考えるかって、よくあるのは「相手が困ることや嫌がることをして怒りや不快感という形で自分に注目させる」という方法です。
怒りや不快感というのはスキルが未熟なちびっ子でも簡単に引き出すことができます。
①②両方が満たされていても、この時期の子どもたちにはある程度はそういうところがあるものです。
そういうわけで、当然幼児期後期にはお友だちとのケンカが多発します。
きょうだいや大人ともぶつかり合います。
しかしこれを経験することによって互いに仲良くする為に大切なことなことは何かを学び、我慢や讓る心を育み、友達・仲間関係を形成できるようになるのです。
そしてゆくゆくは大人と少しずつ距離を置きながら、社会の中で活動する為の土台が形成されていきます。
しかし幼児期が終わってからだいぶ経つというのに、わざと目立つように他人に向けて嫌がらせや迷惑行為をするのがいます。
それこそ中学・高校に行くような年齢になっても。
彼らの場合、前述の②受け入れてもらえてる・認めてもらえてる・一緒にいても離れていても見守られている「安心感」という土台をきちんと形成しきれなかった可能性が考えられます。
安心感が満たされないが為に「自分を見てもらいたい」という欲求から、小学校低学年頃は大体のターゲットを定めて注意引き行動を繰り返します。
しかし思春期を迎え自分と似たような仲間を得ると「自分本位」に基づく「特定の対象」ではなく、「仲間と一緒」に「不特定多数」に近い形で他人の注意を引こうと頑張り始めます。
思春期は何よりも仲間との繋がりが大事です。
仲間を得られるお子さんはコミュニケーション能力がそれなりに高そうです。
口が上手く人懐っこいタイプが多いです。
なかにはみんなをやる気にさせ引っ張ることができるリーダー格だっています。
しかし彼らは他者と信頼し合い、安定した人間関係を形成することが苦手です。
したいのに上手くできません。
だからこそ共有できる行動をして互いを認め合うことにより安心感を得て、彼らの脆弱な絆を少しでも強めようと、不特定多数への注意引き行動という無意味な努力が次第に顕著になっていきます。
しかしやはりここで得られる安心感や絆感もその場限りのものです。
だから彼らはその感覚を維持する為に、迷惑行為は無意味と気づいても日常的に何度も何度もしつこく繰り返すのでしょう。
イキがっている子たちは「仲間がいなければ何もできない」と評価されることがよくあります。
でも私の感覚ではちょっと違うような気がします。
彼らは「何もできない」のではなく「自分を見てくれる・認めてくれる人間以外には興味を持てない」のではないでしょうか。
私は以前お仕事で幼児期から小学校低学年の「自分に注意を向けさせるために相手が嫌がることをしつこくする癖があるタイプ」のお子さん何人かと関わる機会がありました。
知的障害はないか、あっても軽度で決して顕著なものはなく、笑顔で自分から積極的に話しかけてくる子が多かったです。
しかし彼らは相手の興味を自分に向かせることに意識を向け過ぎて、それ以外の「身の回りにある自然やもの、年の近い子どもたち」に殆ど関心を示しませんでした。
大人には可愛らしい笑顔を向けて時間が許す限り横にいようとするのに、その場に近づいてくる子どもがいれば限界まで表情筋を動かしその子を睨みつけたり白目を向いて唸り声を上げながら強烈に拒否的態度を示すこともありました。
この子は「自分に注目してくれそうな人間」以外、大して興味を感じられないのかな。「それ以外のもの」は邪魔なのかな。。。と思うこともしばしば。
だからなのか、年齢や能力にしては他者理解や協調性、忍耐力は極端に低く、賢そうな割にはものを知らな過ぎるというか・・・
刺激的な内容のゲームとか動画にはハマりやすく偏った知識が豊富だったりするんですけどね。
発達障害に似ているけどそれとは違う、不思議な違和感を感じることが多かったです。
まぁ、小さいうちはターゲットを絞りますし、その他大勢の人からは気づかれにくいかもしれません。
話がだいぶ逸れましたが、上の彼らは周りの大人の介入が幸を成したのか、高学年へ上がる前にはとても良い方向へ向かうことができたのでご心配なく(。•̀ᴗ-)و ̑̑✧
話を戻します。
10代後半にもなると、思春期の嵐が弱まってきます。
重心は仲間との繋がりから個人へとシフトしていきます。
ベクトルは同性から異性へ向いたりもします(´˘`*)
仲間がいるからこそ、仲間との絆を維持する為に行われていた他者への迷惑行為は、卒業等の環境の変化や新たな出会いによりプツリと途絶えることもよくある話です。
その先にある新しい環境・人間関係では、不器用なりに適切な安心感を得て、視界が開け、色々なものを見て感じて興味を持てるようになれればいいんですけどね。
過去にはその部類に属するであろう子たちの事例も記事にしました。
過去記事はどれも、周囲の大人にバレないように気をつけながら計画的に嫌がらせを繰り返す「コソコソ派」と、自分に注意を向けさせるために一生懸命後先考えずに迷惑行為をする癖がついてしまった「ミテミテ派」にハッキリと別れていました。
とは言うものの「コソコソ派」も「ミテミテ派」も被害者側からしてみれば大した違いはなく嫌な奴らでしかありません。
1番っ子の中学生活ではこの「コソコソ派」と「ミテミテ派」が、タッグを組んでやって来ました。
初めて聞く名前だらけで。
えぇ、おかげでややこしくて面倒なことになりましたよ。
しかしこれは現在進行形の話というわけではありません。
1番っ子のいまの日常は、周囲の方々のご尽力や理解のおかげで平和そのものです。
色々あるでしょうが、その中でも安全感・安心感をしっかり抱いて中学校生活を送れているようです。
これは小学生である2番っ子も同じ様子。
良きかな良きかな。
しかし私のエネルギーが不足気味なので、まだしばらく記事としては書けそうにありません。
今の段階ではどうやっても恨み辛み風になってしまいます(汗)。
日常を呟いて足跡残すくらいで、いまは精一杯かも・・・。
まだまだ本当に書きたいことへの道のりは長く遠いです。
今後もその辺をトコトコ歩いて、みなさんのブログにもお邪魔しようと思いますのでよろしくお願いします(*´ ꒳ `*)