ただの感想です。
障がいを持つ我が子の成長を感じたので、折角だから記録しておこうと思いました。
自分のことはしっかりやりなさい
「今日ね〇〇君が△△しなくて先生に怒られていたんだよ」
小学校の何気ない日常について色々教えてくれる子ども達。
昔からお友達のことは教えてくれることが多かったですが、自分は何をしていたのかをあまり話してくれません。
自分視点で見えたものを報告してくれているのでしょう。
学校生活での「自分の動きやその時の気持ちを振り返り説明する」のは難しいのかもしれません。
お友達のお話の中にはお友達の失敗談や「きちんとやらなかったこと」もいっぱい含まれています。
悪気があったりいじわるな気持ちで言っているわけではないのは分かっています。
仲良しのお友達のことが多かったし。
そういうエピソードって記憶に残りやすいし。
毎回、ウフフと笑っていたし。
できる範囲で色々教えてくれるのは嬉しいです。
でも、イヤイヤ待って。
ひとの「できなかったこと」の話はするけど、自分はどうなのさ?
君もできないことはあるでしょう?
できてもやらないことあるでしょう?
できるのにやらないのは、障がいがあるとか関係ないよ。
おうおう、ひとのこと言う前に「できることはやる」ようになってみろよ。
「まだ小学生だから」とか言い訳は聞きたくないね。
自分のことは自分でやってみろよ。
と、心の中でモヤモヤしました。
なので一年前に宣言しました。
食後の食器は、自分の分は自分で洗いなさい
当時我が子は小6と小2。
幼児期から皿洗い(というか皿洗い時に生じる泡々)に興味を持って、年に数回はプラスチックのコップを洗うなどしてくれていました。
なので私は知っています。
片手で食器を持って、もう片方の手でスポンジを持ち食器を擦ることができることを!
食器洗いできるよね?
自分の分だけでいいから食後は毎回やるんだよ。
最初は「えー」という反応の二人でしたが、自分専用且つお気に入りのお茶碗もお椀もお皿も洗わなければ次の食事ではそれらを使うことはできません。
いつまでもシンクの中に放っておかれてしまいます。
いいのかな~。汚いぞ~。虫湧いたりして~。カビ生えたりして~。そしたら速攻捨てちゃうから~。
と言ったら渋々洗うようになりました。
現在
いまは食器洗いは「食事行為の一部」になっているようです。
最近、成長期の為か1番っ子は朝なかなか起きれません。
2番っ子は1番っ子より早く起きますが「リビングでのんびりテレビを観て食事⇒朝ごはん⇒おもちゃで遊ぶ⇒おしゃべりしながらのんびり着替え&歯磨き」をしている為、あとから起きてきた1番っ子よりも出発が遅いです。
時間考えてよ(汗)
そんな二人ですが、食後は言われなくても当たり前のように、ナチュラルに自分が使用した食器をシンクに持って行き洗っています。
遅刻しそうでも朝食を必ず食べる二人ですが、食事をした為に更に遅刻しそうになっていてもササッと洗い物を済ませていきます。
私は「遅刻するぐらいなら朝ごはんくらい食べんでいい(# ゚Д゚)ムキ‐!」
というタイプです。
「ギリギリでもいいから遅刻だけはするな!成績云々よりもずっと大切な事。社会生活の基本中の基本だから!!」と言い続けています。
それでも意地でも朝食を食べ、遅刻しないぎりぎりの時間までに登校する二人を「マジスゴイ」と内心尊敬(?)している今日この頃です。
現在は「洗濯は自分でする」を訓練中
中学生になるタイミングで、入浴後に「自分の衣類や使用した小物だけ」洗濯することを(言われて渋々)始めた1番っ子。
朝起きてきて下着まで取り換えて(幼児期からの習慣。我が家では1番っ子だけ。多分こだわり行為)、学校から帰宅後はジャージから部屋着に着替えて(現在ジャージ通学中)、風呂前に部屋着や下着を脱いで・・・
と1番っ子だけで結構な衣類の量です。
身長も160㎝以上あるので衣類1枚1枚も大きいサイズですし、タオルとかハンカチとかマスクとか、一人分だけなのにたくさんあります。
そこで「洗濯も自分でして(マジ頼む!)」となったのであります。
我が家の洗濯機はスピーディモードにしても45分くらいは稼働します。
その為洗濯が終わったことを教えてもらってから、(やっぱり)渋々干す1番っ子。
嫌なら別に干さなくてもいいよ。カビちゃうかもしれないけどね。イヒヒ
と呟く私。ちょっと意地悪ですね(汗)
でも父さんと母さんは、いままで他の家事や仕事をしながらこれを毎日4人分やっていたんだから、自分の分だけでもそろそろやるようにしなさいよ、と。
目標は食器洗いと同様、「自主的に自分で最後までやりきれるようになること」「やることは自然なこと」になることです。
あと1年位、ほぼ毎日やり続ければそこまで行けるようになりますかね~?
気長に見守っていこうと思います。
自分のことを自分でやるようになってから
上手にできないこともありますが、自分の身の周りのことを自分でやるようになってから「お友達が頑張っていること」「お友達が上手にできたこと」を教えてくれることが増えてきたような気がします。
リトルエンペラー症候群について話したかもしれませんが、「大人がやってくれて当然な環境」を脱すると、「努力や他人を認め評価する気持ち」を自然と身につけられるようになるのかもしれません。
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だとしたら「当たり前の家事」って素晴らしい家庭教育になるんですね。
今日も読んで頂きありがとうございました☆