自己肯定感はどうやって育めばいいの?
皆さん、こんにちは。
突然ですが、皆さんのお子さんは自己肯定感が高いですか?
自己肯定感・・・・。正直自分のことすらよくわかりません。
よく聞く言葉ですが、実用日本語表現辞典から引用すると
自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの評価や存在意義を肯定できる感情などを意味する語
だそうです。
自分、あり方、存在意義、肯定、感情・・・・
「自己肯定感を高めよう!」と思っても中々簡単に出来るものではありません。
様々な経験の中で時には突然ガクーンと低くなることはあるものの、それでも学校や社会の中で揉まれながら少しずつ高まり安定し、自分の力で立って生きていくときの大切な足元、大きな礎になるものです。
とは言えとにかく褒めまくれば、何の実力も根拠もない自意識が過剰なだけの大人になりそうだし。
自己肯定感を下げないように叱らない育児をしようものなら、ルールや秩序を守らないリスクを身をもって知らないまま大人になって、社会に出た途端世の方々から怒られるか軽蔑されるか「キミにうちの組織に居られては迷惑」と拒否されるか・・・。いずれにせよ巨大な挫折を味わうことになるでしょう。
少なくとも我が子たちは。
軽度とはいえ知的障がい児なので物事を深く考えられませんし、自分の都合の良いように物事を簡単に解釈してしまう傾向があるのです。もしもいけないことをしても敢えて叱らずにいれば「自分はこの程度なら叱られずに済む人間なんだ」と解釈するでしょう。女性は特に優しく言い聞かせてくれる存在として、世の女性全般をなめてかかるようになるかもしれません。
そうならないようにするためにも必要ならば心を鬼にして、社会に迷惑をかける行いをしたときは敢えて強く叱るようにしています。「子どもだろうが障がいを持っていようが、ダメなものは絶対にダメ。あなたはそこまで特別な存在ではない。だからみんなと一緒に社会で生活できるんだ」と伝えたくて。
でも、、、ならばどうやって家庭での過ごし方によって自己肯定感を高めることができるのでしょうか?
答え:お手伝いをすると良い!!
ご家庭ではお子さんにお手伝いをするように求めていますか?
うちは・・・ちょっとだけしています(笑)。
でもなるべく毎日してもらっています。
・下校後にベランダから洗濯物を取り込む
・親が畳んだタオルを脱衣所に持っていく
・入浴後は洗濯機のタイマーをセットする
・動植物の面倒を見る
・食事の配膳をする
・休日のランチ後は、自分が使用した食器を洗う
・時にはトイレやお風呂掃除、ゴミ出し等も・・・
簡単なものばかりですね。
というのも、独立行政法人国立青少年教育振興機構による青少年の体験活動等に関する実態調査(平成26年度)によると、お手伝いをしている子どもほど自己肯定感が高いという調査結果が出ているのです。
自己肯定感が「高い」「やや高い」と判定された子ども達の中でお手伝いの頻度が高い子は、お手伝いの頻度が低い子に比べて3倍以上も多かったのです。
お手伝いって大切な実体験ですよね。
上手くいくこともあればできないこともあるし、褒められたり感謝されることもある、時にはきちんとやらなくて叱られることもあります。
必然的に様々なコミュニケーションが発生します。
上手くいったりいかなかったりで自分の未熟さや、出来るようになったことで成長を実感することもできるでしょう。
家庭生活の中で必要な行動・動作を知ることもできるし、助け合いの必要性や協力の大切さを感じる経験にもなります。
その上で自己肯定感すらも育むことができるなんて!!なんて素敵なことでしょう!!!!
お手伝いを多くしている子はスマホ等の依存傾向も少ない
また同じ調査の中で、お手伝いをよくしている子どもは携帯電話やスマートフォンが気になったり、操作することが少なくなる傾向があるという結果も出ているのです。
我が子たちはスマホゲームが大好きです。スマホのアプリゲームもするしテレビゲームもします。
でも中毒という程ずっとやり続けることはなく、毎日そこそこで終了できます。
「もうおしまいにしなよ」と声掛けをすれば大した抵抗や不満も見せずにきちんと終わらせることもできます。
これもお手伝い効果なのかな??多分それだけではないんでしょうけど(笑)
お手伝いや学習、その他家族との関りや会話を意識して行うことによって日常の中にスマホやゲームに依存するだけの時間を作らずに家庭生活を送る習慣が身に付いたからだと思っています。多分。
まとめ
子ども時代のお手伝いは、自分のあり方や存在意義を肯定的に感じるための大切な経験学習です。
大人になってからの社会生活に直接結びつくものはあまりないかもしれませんが、胸を張って前向きに生きていくための糧になります。
お子さんにお手伝いをやってもらいましょう。
人一倍褒めたり親が小難しく言い聞かせるよりも、経験の中から何かを感じ取り自分自身の心で学んでくれるかもしれません。