みなさんこんにちは。
最近日曜日にお休みをいただく機会がありまして、折角だから我が子たちが観に行きたいと言っていた「STAND BY ME ドラえもん2」を観に映画館に行ってきました。
観に行く前にレビューをちょっとだけ覗いたんですが、結構酷評でしたね。
「感動させようとしている感が全体的にスゴイ」
「予告を見ただけで大体のストーリーが分かるだろ」
「大人のび太がダメダメすぎてイライラする」
「ノーヘル+原付で町中を走り回るシーンはアカン」
という意見が目立ちましたが、実際観てみて「なるほどそうかもな」と思いました。
しかしそれ以上に感慨深いというか、非常に印象に残る作品でもありました。
今年は鬼滅の刃が映画としては大ヒットで日本の映画史上に残る記録を出しているそうです。
親子で観に行ったという人も多いでしょう。
でも私はここで敢えて言いたいです。
「STAND BY ME ドラえもん2」こそ、 子を持つ親に観て欲しい映画 No1(2020)!であると!!
今回は、この作品のどんなところが感慨深かったのかをお話したいと思います。
のび太は自己肯定感が低い
(微ネタバレ注意)
宜しければ、本記事を読む前に⇓⇓⇓の動画をご覧になって下さい。
物語は、しずかちゃんとの結婚式から逃げ出した大人ののび太を主軸に展開されます。
なぜ彼は幸せいっぱいの晴れ舞台から逃げ出したのでしょうか?
答えは単純です。
「僕はこんなだから、もしかかしたらしずかさんを幸せにしてあげられないかもしれない」
しずかちゃんと歩む未来を目前にして極度の不安に駆られたのでしょう。
「僕はこんなだから」
「こんな」がどんななのか、具体的には明言していません。
ただ自分自身のことを「こんな」と(おそらく)酷評しています。
この一言にのび太の自己肯定感の低さがギュッと詰まっています。
自己肯定感とは自己価値に関する感覚であり、自分が自分についてどう考え、どう感じているかによって決まる感覚です。「自分の存在そのものを認める」感覚であり、「ありのままの自分をかけがえのない存在として肯定的、好意的に受け止めることができる感覚」のことで、「自分が自分をどう思うか」という自己認識が自己肯定感を決定づけています。
大人になっても、のび太はありのままの自分を受け入れることができないでいました。
どうしてでしょう?
どうしてのび太はそんなに自信がないのでしょう?
どうしてそこまで不安になってしまうのでしょう?
その答えがのび太の自信のなさの「理由」にあるのです。
のび太はダメダメ?
本映画に限らずアニメの中でののび太は、何をやってもダメダメでドラえもんの便利道具に頼ってばかりいる小学生のように描かれています。
テストは赤点ばかり。
運動音痴。
怠け者。
幼稚な考え。
失敗が多い。
「何をやってもうまくできない子」のように、そして毎回「その理由」も明確にされているのです。
たくさんの「理由」を自覚しているから、のび太は自信がありません。
たくさんの「理由」を分かっているから、のび太は自分を認めることができませんでした。
だから大人になっても自分を「こんなだから」と思っていたのでしょう。
ありのままの自分を認めてあげることができなかった。
自分を信じることができなかった。
そして「しずかさんを幸せにしてあげられないかもしれない」という漠然とした不安に押しつぶされそうになり、目の前の現実から逃げ出してしまったのかもしれません。
自己肯定感はどうやって育つ?
上記引用の文章は次のように続いています。
さらに、そのままの自分を認め受け入れ、自分を尊重し、自己価値を感じて自らの全存在を肯定する「自己肯定感」の感覚は、何ができるか、何を持っているか、人と比べて優れているかどうかで自分を評価するのではなく、そのままの自分を認める感覚であり、「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在」だと思える心の状態がです。この感覚を持てると、自分を尊重するように、他者や周りも尊重できます。
そう、自己肯定感には「何ができるか、何を持っているか、人と比べて優れているかどうか」等といった「理由」はいらないのです。
「そのままの自分を認め受け入れる」
それだけでいいのです。
対して現代の子ども達は多くの「比較」や「評価」の中で育っています。
学校や塾の成績。
クラス内カースト。
ママの質問掲示板に「ママ友から子どもに習い事をさせないなんてかわいそうと言われました」という相談が載せられることもしばしば。
SNSでも評価され・・・。
ひとつでも多く、ひとより優れているべき・持っているべきだというように。
そのためにも、評価する・してもらうための確固たる理由を作ろうとしているような。
しかし、自己肯定感を得るために「いつも良い点数が取れてすごい」「ピアノが上手で素敵」「選抜選手になれてカッコいい」「めっちゃ美人」などの評価は、そもそも必要ないのです。
ただ
他の誰でもない。君だから、良いんだ
それだけでいいんです。
「見て見て」と、執拗に大人の注目を求める。
「すごい」と認められたい。
どんなに賞賛されても満足しない。
自分が上手に出来ない・勝てないことには参加したくない。
良い結果が出せない・負けることは受け入れられない。
自信がないことは不安。
障がい児者支援の現場で働いている現在、このような傾向を持つ子はどんどん増えていっているように感じます。
できたことに注目して褒めるのは簡単です。
しかしそれをどんなに大げさに繰り返しても、ずっと続く無限ループ。
「できる自分」を認めてくれる人を求めているのでしょう。
でも出来たことを褒めてばかりいると、「できない自分」は置いてけぼりになります。
上手に出来ることもスゴイこともヘタクソなことも勝てないことも含めて、すべて自分自身なのに。
最近、学校や児童福祉関連施設等で「自己肯定感の低い日本の子どもを何とかしよう」という取り組みが多く行われています。
本屋さんの育児本の棚には「褒めて伸ばす」とか「叱らない子育て」とか色々な言葉が飛び交っています。
我が子への「褒め方」「叱り方」がなっていないと職員に注意したりSNS上で批判する親御さんもいます。
しかし子どもの自己肯定感を育てるためには、そもそも「褒め方」や「叱り方」なんて関係ないのではないでしょうか。
具体的で詳細な理由なんていらないんです。
私は君が好きだ。
ひとより出来ないことがあったっていい。
情けないところがあってもいい。
君だから、好きなんだ。
「良いところもそうでないところもひっくるめて、ありのままの君がいい」
そうメッセージを送り続けることが大切なんだと思います。
それを送れるのは誰か?
言わずもがな、「家族」です。
子どもが親を好きなことに具体的な「理由」など持たないように、家族が家族を大切に思うことに詳細な「理由」など必要ありません。
子どもにこのメッセージを送ることができるのは、学校の先生でも施設の職員でもありません。
のび太はありのままの自分をどうやって受け入れるのか
上記動画で、おばあちゃんはのび太のことを「こんな立派な男の子」と言っています。
「本当の強さを持っているんじゃないのかい?しずかちゃんだってそのことに気づいたから」と問いかけます。
でものび太はキョトンとしています。
アバウトでふんわりとしたおばあちゃんの言葉に、実感がわかないのでしょう。
是非もう一つの予告⇓⇓⇓も見て下さい。
しずかちゃんは「そのままでいいからそばにいて」と願っています。
そのままののび太と家族になりたいと。
比べなくていい。
ひとより上になろうとしなくていい。
情けないところがあってもいい、優れていなくてもいい、カッコよくなくてもいい。
そのままののび太がいい。
両親の想い。
幼少期から一緒に育ってきたスネ夫やジャイアン、そしてドラえもんとの友情。
みんなの気持ちに触れ、のび太はどのように自分を認め、許し、受け入れていくのでしょうか。
不安を感じても
自分を信じて
前を向いて
しずかちゃんと一緒に幸せになろうと
未来に向かって歩き出す。
のび太はどのように変わっていくのでしょうか。
さいごに
子どもにはまだ難しい話かもな~と思いました。
だから単純に「いい話だったね」で終わってもいいと思います。
酷評の割には「すごい感動した」「本当によかった」という声が周囲からチラホラ聞こえていましたしね。
ただ、我が子に当てはめるとしたら
これまで色々な困難がありました。
第三者からあからさまに馬鹿にされたり嫌な目を向けられたりすることもありました。
これからもきっと、生きづらさで頭を抱えることはあるでしょう。
でも
不器用だろうと知的障がいがあろうと、ひとより上手くできなかろうと、
私は二人が大好きだし大切だと思っています。
具体的且つ詳細で確固たる理由なんていりません。
アバウトでふんわりしていて、他人様には分かりづらいかもしれません。
それでも
誰に何と言われようと、二人は私の誇りです。
予告を見ればストーリーの大筋は分かってしまいます。
制作側は敢えてそのようにしたのでしょう。
ストーリーよりも大切なものがあるのです。
社会の現状のなかで、のび太の気持ちは決して他人事ではないはず。
本当に酷評ばかりですが
「たくさんの人に観てもらいたい」
単純にそう思える作品だったので書きました。
読んでいただきありがとうございました。