みなさんこんにちは。
先日は1番っ子の中学校卒業後の進路希望についてお話しさせていただきました。
中学校生活が始まってから数ヶ月。
バタバタと慌ただしく一日一日が過ぎ去っていきます。
そんな中、先日読者さんから質問をいただきました(ありがとうございます)。
ちょっと長くなりますが、今回はそれについて「最近あったこと」をお話します。
宜しければお付き合いください。
Q.「部活はどうしていますか?」
1番っ子は、軽度知的障がいの他にASDとADHDを併せ持っています。
小学校は6年間支援級に所属し、時間をかけてゆっくり成長してきました。
4年生から週1回、6時間目にあるクラブ活動にも参加しました。
4・5年生の時は運動系、6年生の時は文化系に所属し楽しく活動することができました。
どちらも本人の希望です。
クラブ活動は4~6年生が学年の垣根を越えて同時に活動するので、支援級も普通級も無関係になりがちです。
1番っ子の小学校時代の先生方は、「なるべく支援級だけで抱え込むようなことはせず、本人ができる分は外(普通級)に送り出す」という考えだったので、入学時から支援の先生がつかない時間があることには慣れていました。
そのおかげか部活動には、支援の先生がつくことはほとんどなく参加することができました。
そこは当然顧問の先生のフォローや先生同士の連携等、陰ながらのサポートもあったからだとは思います。
社会性や理解力に一部困難がある子ですが、本人の希望に沿って経験したことのない集団競技や活動に参加させてくださったことはいまでもただただ感謝しています。
さて、中学校生活には部活動があります。
小学校のクラブ活動とは違い、多い時は週5日(休日活動も含)、1回の活動時間は最低でも2時間あります。
小学生のクラブ活動とは大分違います。
かなりハードです。
小学生時代のクラブ活動は先生方が陰ながらフォローしてくれていましたが、それは低学年時代の1番っ子を知っていたからできたこと。
中学校生活を始めたばかりで、生徒・先生同士がお互いのことをほとんど知りもしない状況でいきなり同様のことはできるわけがありません。
ましてや支援級の先生は生徒15人に対して今年度は3人のみで、各々が部活動の顧問もしています。
現実として、支援級所属の生徒の部活動支援までは手が回りません。
6年生の冬に中学校支援級の見学に行きましたが、その際に先生から部活動の説明もしていただきました。
↓↓↓の時のことなのですが、部活動の説明については書いていませんでしたね・・・。
当時は
・支援級で運動部に所属している生徒はいない。みんな文化部で、特にパソコン系に集中している
・運動部は基本集団活動で、休日には遠征がある。待ち合わせ場所(主に駅、うちからはバス必須)には自力で行かなければいけないし解散時も同様。大会の時は顧問の先生にも係があり、支援をすることはできない。競技ごとのマナーもあり、大会前の会場で部員だけで挨拶回りとかもしなければならない。大会では少しでも良い結果を出すことを目標にみんなで頑張っている。だから普段から練習は厳しくすることもある。その為お勧めはできない。本人が運動部を希望しているなら、いまから話し合った方が良い
と言われました。
最後の「話し合う」とは、「諦めさせた方が良い」ということなのかな、と私は当時から捉えていました。
1番っ子は小学生の時から「中学生になったら剣道部に入りたい!!」と言っていました。
歴史の学習漫画が大好きで、いつの間にか武士に憧れを抱いていたみたいです。
しかし剣道は全くの未経験です。
高学年になってから休日に2時間程ゆる~~~く空手を習っていますが、剣道はこれっぽっちもしたことがありません。
もちろん竹刀も木刀も握ったことはありません。
しいて言うならばプラスチック製の玩具の刀くらいならあります。
小学生の頃から毎日振っています(笑)
中学校に入学してからも、変わらず「剣道部に入りたい」と言い続けていました。
そして1ヶ月の仮入部期間中は、ほとんど剣道部に参加していました。
剣道部がお休みの日は支援級の子が多く所属しているというパソコン系の部活に参加するように勧めてみましたが、参加したのは2回のみ。
どうだったか聞いても「うん、楽しかった・・・かな」とだけしか答えてくれませんでした。
その間も支援級の先生からは「剣道部は防具の購入などで特にお金が掛かります。入部してからコンナハズデハと辞めるようではもったいない」「急がなくてもいい」「私からも本人と話し合ってみます」と、暗に剣道部入部にストップをかけるかのようなコメントをちょくちょくいただきました。
なかでも何度か言われたのが、「遠征は一人で公共交通機関を使わなければいけないのです。教師が集合場所まで連れていくことはできません」という言葉。
その度に「一人で公共交通機関は何度も利用しているし、家族でもしょっちゅう出掛けているから大丈夫ですよ」と答えていたのですが・・・。
忘れてる?それともあえてスルーしている?
次第にそのように感じるようになっていきました。
私は「剣道部に入りなさい」とは一度も言っていません。
1番っ子本人が仮入部を経験して、それでも「入部したい。自分でもできる」と思うのなら先生に相談しなさい。
そうとだけ言っていましたが・・・。
少し心が折れました、私が。
(それまで別に何もしておりませんが。笑)
だから夕飯の時、1番っ子と話し合いました。
先生はずっと仮入部でもいいって言っているよ。仮入部なら練習に好きな時だけ参加すればいいんだし、厳しくされないみたいだし。気楽でいいじゃん。
・・・ねぇ、支援級に入ったんだから・・・
運動系には本入部しない方が、あなたと学校にとって、お互いの為なのかもしれないよ
こんなことを1番っ子に言うのは、親として非常に不本意でした。
胸が痛いし、苦しかった。
1番っ子は、私の言葉に対して無言でした。
頷くことも首を振ることも、私の顔を見ることもしませんでした。
しかし支援する側にもいる身として、「支援者が一人の支援に注力して他の人の支援や業務が疎かになることは、公平性の観点から絶対に防がなければならない」ということも十分に理解しています。
きっと中学校は、小学校よりもシビア。
「実力重視」の世界です。
入学してから2年以内に「受験=学力基準」という価値観をほとんどの子に理解させなければいけないし、1年生のうちから少しずつハッパをかけて個人でも努力をするよう促さなければなりません。
小学校のインクルージブ教育のように幅広く理解を求め、みんなで一緒に成長していこう!という考えで成り立たそうとするには無理がある世界なのでしょう。
学力如何によって進路が異なるので、「各々の学力や行動次第」の受験を控える環境と「みんなで一緒に」という考えは相入れないのです。
現代日本では、大人だって余裕がありません。
本当は自分の人生だけで精一杯です。
中学生はまだまだ子どもではありますが、ほとんどの子たちが大人の階段を登り始める時期でもあります。
自分の人生にしっかり向き合えるように、いまは揺らぎやすい自己の基盤を少しずつ強固に整えなければならないのです。
中学生の教育は、小学生とは別の難しさがあるのでしょう。
障がい故に一部なりにでも能力が低い子は、タダでさえついていくことが難しい。
ついていける場所のみに居た方が良いと暗に求められているような・・・
休校中や休校解除直後の学習環境や内容を見てなんとなく感じていました。
「子どものために」と強く要望したことにより、先生が難色を示す「支援が届きにくい環境」に行けたとしても、結果的にそれが本人のためになるかどうか・・・・・
先生が1番っ子の様子を見て「学校教育のキャパを越えている」と判断されたのならば、諦めるべきという考えが頭を何度もよぎりました。
表に出さないだけで、本当はみんな毎日のことでいっぱいいっぱい。
障がいがあろうがなかろうが、ある程度それは平等です。
だから社会の中で生きていくためには、「自分の気持ちと周囲の状況」のバランスをとらなければなりません。
どちらかに偏りが生じればもう一方側にいる人やその様子を遠巻きに見ている人たちから不満が沸いてくるでしょう。
結局日常生活に何らかの支障が出てきてしまうのです。
支援を受ける側にいるからって、満足できるような偏りを享受していいわけではありません。
そんな権利なんてないんです。
「適切な支援」と「受ける側の満足」は必ずしもイコールで結ばれません。
我が子の安寧な学校生活を願うならば、剣道部入部をひっそりと諦めさせるべきなのか・・・
そんなこんなで八月も半ば。
考えているだけであっという間に仮入部期間が終わり、本入部届を提出しなければならない時期になりました。
本入部届には保護者のサインと捺印が必要です。
本人が勝手に希望の部を書いて、いつの間にか提出する・・・なんてことはできません。
1番っ子に「書いて」と差し出された用紙には、お世辞にも綺麗とは言えない本人の字で「剣道部」と書かれていました。
少し話は変わりますが、実は1番っ子は「悪い系(?)と見られたい上級生」に少し前からターゲットにされていました。
学校外で3~4人で静かにかたまり人目につくところで一生懸命煙草を吸っていたり、無言で爆竹を鳴らしながらキョロキョロしていたり人通りの多いところで大音量の音楽を流し、直接道行く人には注意されない程度のヌルーイ迷惑行為をして、注目願望を満たそうとしている子たちでした。
詳しくはお話ししませんが、到底納得できない理由で面識もない奴等にちょっかいを出されたので、私たち夫婦は初回はソッコーで警察沙汰にしてやりました。
彼らはその後に自宅まで数人の警察官が乗り込んできてビビったのでしょう。
暫くは大人しくしていました。
しかしある日の夕方、1番っ子が一人で近所を歩いているとバッタリ会って絡まれることがありました。
すぐに逃げ出し、直後に初回騒動の際にお世話になったお巡りさんの一人が助けてくれたので事なきを得ましたが。
その関係で私たち夫婦の耳に入ると同時に中学校にも事の顛末が伝わり・・・
先生たちはどう思っていたか本心は知りませんが、マイダーリンは彼らに怒り心頭です。
彼は若かりし頃は、ガチで喧嘩道で生きてきた人です。
ビーバップハイスクール全盛期だったこともあり(私は世代じゃないので知りません)、青春時代の数年間は23区内頂上決戦(?)を毎日のように行っていたらしいです。
少人数でつるんでヌルーク悪さっぽいことをしていたのではなく、しょっちゅう一対一で流血沙汰を起こしていたと。ナンテヤツダ
通学鞄は攻撃用なので、学用品ではなく鉄板を入れていたと。イミフメイ
そんな彼も、社会に出て結婚して子どもが生まれて、昔とは別人のように心は丸くなりました。
ただやっぱり、相手がいくら注目願望丸出し状態のイタイ子どもたちでも、集団でコソコソと我が子に絡んで、困っている姿を見て楽しもうとしているとなると・・・
そりゃあ、長年かけて丸くなったものも一瞬で激しい鋭角を有する三角形に戻ってしまいます。
そんなある日、休日に父子で近所を歩いていると、たまたま進行方向から彼らが歩いてきたことがあったらしいです。
(「らしい」というのは、私はその場にいなかったので、これはマイダーリンから聞いただけの話です)
あちらもすぐに気づいたのかニヤニヤ笑いながら、持っていたスマートフォンで音楽を大音量でかけて近づいて来ました。
多分それも、1番っ子に気づいてほしいアピールだったんでしょうね。ソウイウトコロガアホクサ
以前から平日夕方の混み合う近所の大通りで、不特定多数に向けてヌルーイ迷惑行為を繰り返していた子たちなので、マイダーリンは彼らの顔を分かっていました。
もちろんあちらはマイダーリンのことは知らないし、さらには1番っ子の父親であることも知らなかったでしょうが。
「またあいつをからかってやろうぜ」という思いを感じたのか、1番っ子の前に出て彼らの方に歩き出していったマイダーリン。
あとから聞いた話なので、私はマイダーリンが何をしようとしていたかは知りませんが(聞く気もありません)、彼らは自分たちに近づいてきたマイダーリンに気づいた途端、すぐさまスマートフォンの音量を下げ方向を変えて早歩きで去っていったそうです。
まぁ、元々目付き悪いし長身でガタイいいし、激しい鋭角三角形になっていたので、そうでしょうね。
子どもが生まれる十年以上前に同じような状況に遭遇したことがあるので、なんとなーくドンナダッタカは想像がつきます。
ちなみに1番っ子は、そのときの父親の顔は見ていないそうです。
マイダーリン曰く「我が子に見せるものではない。仲間がいなきゃイキがれない、本気で人を殴ったこともないガキのくせにちょっかい出そうとしてきたから、教えてやろうとしただけ」と。…ナニヲ?
・・・・・・
それ以外にも色々ありましたがそんなこんなで、大人に注意されない程度に集団で1番っ子をいたぶって楽しもうと目論んでいた彼らは、夏休みが終わる前には我が家にとってドーデモイイ存在になっていました。
めでたしめでたし・・・
な訳ではないです!
おかげさまで、1番っ子は「普通級の上級生」に恐怖感を抱いてしまいました。
彼らと校内で会っても無言で去っていくだけになったのに、やはりどこかでトラウマになっているようでした。
オイ、ふざけ★△・?※♡◆!!!!!
もちろん剣道部には彼らは一人も在籍していません。
でも、上級生一般が苦手になってしまった上に、普通級には友達がいない(自称)、顧問は他学年の普通級の先生という完全AWAYの状況で、単身剣道部を希望するなんて・・・
寂しくない?
不安じゃない?
本当に本気なの?
色々な気持ちを押し込めて、私はサイン・捺印と共に空欄に赤ペンでこう書きました。
・公共交通機関は一人で利用できます。幼い頃から練習を重ねてきました。目的地にも行けます。でも土日は小学生の頃からしている習い事の空手に行きたいと本人は言っています。できれば遠征が集中する土日の部活はお休みしたいようです
・もしかしたらすぐに辞めるかもしれませんが、防具等は納得の上で購入します。
・障がいに関係なく、幼い頃から必要ならば普通に怒って育ててきました。注意される・怒られることには耐性があります。ですから他の子と同様に必要時は厳しく指導して頂いて大丈夫です
・もしも入部できないのならば遠慮なく言ってください。私からも諦めるように説得します
ここまで来たら、親として、ただ諦めさせることはできませんでした。
先生は何度もやんわりと「剣道部はあきらめましょう」と変化球的メッセージを送ってきました。
だから一度だけ私からも、母親として直球で「お願い」を返そうと思いました。
ずっと「夢や目標を持って頑張れるって素敵なこと」と教えてきました。
「不満を言ったり諦める前に、まずはやってみなさい」と背中を押してきました。
「やったことないけど剣道をやりたい」と、不安を感じながらも自分の意志で未知の世界に足を踏み出そうとした1番っ子。
この気持ちを、応援してあげたかった。
否定して、何もしないまま終わりにはしたくなかったのです。
記入済みの本入部届は、1番っ子の手でクリアファイルに挟まれ大事そうに通学バッグにしまわれました。
しかし、それから1週間経ち、2週間経ち・・・・。
1番っ子は通学バッグの中に用紙を入れて登校し、先生に提出せずに持って帰ってくる日々を過ごしていました。
提出する勇気を出せずにいたのでしょう。
元々、自信のない子です。
自信がなくて一人で足踏みしている間にいたずらに時間だけが過ぎていきました。
そして余計前に進めなくなってしまっているようでした。
私は「自信は本人の成長と共に、自分の力で実力に見合ったものを身につけていけば良い」と考えています。
複数の軽度障がいを持ちながらも健常の子たちと近い場所で育ってきた1番っ子は、色々な場面で他の子たちよりも優れた結果を出せず、当然自信なんか持てませんでした。
見えるものだけが大事なのではない。少しずつ自分ができる範囲でコツコツ努力をして、それに見合った何かを得られれば、自信もついていくはず。だからまずは落ち着いて地道に努力できるようになろう。
思春期に入ってから自他の様々な違いにはっきりと気づくようになり、それに直面すればするほど戸惑ったり落ち込んだり、下校後に感情が爆発することもありました。
それでもずっと言い聞かせてきました。
みんなみたいにできなくても大丈夫。大人になれば分るよ。「嫌だ・めんどくさい・カッコいい結果が出せない」からってはじめから目を逸らすのではなく、できる範囲で頑張ることを続けていこう。そうすれば分かってくれる人が現れる。いま以上に、きっと。
低学年の頃は、自分が嫌だと思うことには暴言・暴力を駆使してでも抵抗してきた1番っ子。
ギャングエイジ期になると、プリント1枚程度の宿題もやりたくないからと、拙い言葉と小馬鹿にした態度で食って掛かってきたこともありました。
手伝いしたくないからと嘘ついて誤魔化して、2番っ子を利用してやったふりしたこともありました。
誤魔化し方があまりにもアホらしくて、速攻でバレたけど。
その度にすかさず、一人の親として精一杯体当たりしました。
「成らぬものは成らぬ」と。
「やらねばならぬものはやらなければならない」と。
怒鳴ったことは数えきれないくらいあります。
暴力には暴力で返したこともあります。
反対に良い事をしたらたくさん褒めたし、優しさを示してくれればお礼をしつこく伝えたりもしていました。
ストレスを発散させようと、楽しい時間を1分でも多く過ごしてほしいと、休みの日には療育手帳の恩恵を駆使して家族で遠出ばかりしていました。
1番っ子の笑顔を引き出そうと夫婦で頑張りました。
それでも当時、近所の人は私のことをただの酷い虐待親だとしか思っていなかったかもしれません。
でも、他人にどう思われようが構わなかった。
地域の子育て世代コミュニティからは完全に外れ、ママ友なんて一人もいませんでした。
「手が掛かる障がい児」なんだから、もっときちんと育てればいいのに。
今の時代に、人目も気にせず子どもを叱りつける見苦しい私とは関わりたくなかったのでしょう。
それとも1番っ子と自分の子を、学校以外の場で関わらせたくなかったのか。
この子を心から想い、向き合ってあげられる母親は私だけ。
どんなに出来の良い子を育てる母親だって、私以上にこの子を育てられる人はこの世には存在しない。
障がい児に対する療育的指南なんて、「どうでもいい」と思っていました。
自分の職業なんて、これまでの経験や学びなんて、吹っ飛んでいました。
それが良かったのか悪かったのかは分かりません。
思春期以降は二次障害も出やすくなってくる。その影響で将来この子が犯罪に手を染めるようになるくらいなら、キレたこの子に刺し殺されようとも、いま私が止めてみせる
突然不安定になって家族や物にあたることもある1番っ子を見て、そう思い挑んでいました。
でも、不思議なものですね。
毎日必死で、ドタバタしているうちに1番っ子が落ち着いてきました。
くだらないズルや嘘をついて、すぐばれて怒られることもちょくちょくありましたが。
欲しいものを買ってもらえなくても毎回当たり前のように我慢できるようになってきました。
めんどくさくても、自分に関係ないことでも、小声で文句を一瞬もらすことはありつつも取り組めるようになってきました。
少しずつです。
家庭学習も手伝いも、後片付け・掃除・洗濯といった自分の身の周りのことも習慣化し、毎日当たり前のようにするようになりました。
発達心理学の社会性の中で、「小学校高学年にもなると時間感覚がしっかりしてきて自己管理がしやすくなる。持続的な思いやり・気遣いができるようになり、自分が褒められるよりも相手の為を思って行動することが増える。それによりお手伝いにも意識が向き、次第に将来の生活についても考えるようになっていく」というものがあります。
複数の障がいを併せ持ちながらも、いろんな部分で年相応の成長もできていたのかもしれません。
悔しかったり辛い思いをたくさんしてきたことでしょう。
低い理解・判断力、幼さやこだわり、小さな困難をいくつも抱える心で、自分自身と向き合い1番っ子なりに成長しようとずっと頑張っている。
私はそう思っていました。
人と比べなくていい。
落ち着いて、自分ができる範囲で頑張ればいい。
それだけで十分すごいんだよ。
話は戻りますが、そんなこんなで本入部届の提出については何も言わずに本人に任せることにしました。
今は立ち止まっているけど、不安と向き合いつつも「その時」が来たならば自分で歩き出せるはず。
その前に卒業しちゃうかもしれないけど(汗)ハハハ…
でも、他にもやらなければいけないことはたくさんあるし。
・・・・ん?
他にも・・・?
・・・・・
・・・・・
そうだった・・・。
9月初めに定期テストがあるんだった!!!!
1番っ子は支援級所属だから定期テストを受けるかどうか自体を選択できます。
「無理しなくていいですよ」と先生に言われましたが、全教科受けることにしていました。
詳しくはこちら↓↓↓
テスト前後に、副教材の問題集をやって提出しなきゃいけないんだった!
数学と英語なんてすごい量!!
休校解除後からほぼ毎日コツコツ一緒にやって来たけど、間に合うかな~(汗)
ヒ~、やればやるほど難しくなっていくから教える方もしんどいぞ~!!
英語、私の頃と学習の進め方がかなり違うんだけどどうなってるんじゃい!!文法とかは教えずにヤレってこと?!キーッ
な~んて、バタバタしながらもなんとか期日までにすべての提出物を完成させることができました ┐(´∀`)┌ヤレヤレ。
知的障がいがあるから何度やっても分からない部分もあったけど、それでもくじけずよくやったよ。
やっぱり1番っ子、アンタすごいよ!
な~んて、感動していたら翌週にはテスト結果が出ていました。
なんとなんと、全教科50点も程遠いという、違う意味ですごい結果に!!
あれだけ毎日勉強してもこの結果ってマジすごいぜ・・・・
でもいいのです。
良い結果だけが大事なんじゃない。
君は努力ができる子だから、大丈夫。
これからもできる努力をしていこう。
きっと分かってくれる人はいる。
テスト結果が出そろって1週間が経った9月半ば。
私の携帯電話に中学校から着信がありました。
「支援級の先生かな?」と思って出ると、相手は聞き覚えのない声の男性でした。
「はじめまして。私は剣道部顧問の〇〇です」
!?!?
「本日(1番っ子)さんから本入部届を受け取りました。お母さんの気持ちも読みました。今後の入部に向けてお話がありますので近いうちに学校に来られますか?防具購入の説明もしたいですし」
え!?
・・・本入部届、出したの?
自信がなくて、一歩も踏み出せないまま卒業するかもと思っていたのに・・・
防具の購入って・・・
入部していいってこと?
約束した日時に剣道部顧問の先生に会う為に、私だけで中学校に行きました。
職員室に声を掛けるると、なかからすらりとした爽やか先生が出てきました。
「剣道部顧問の〇〇です」
挨拶をしていると、職員室の奥からもう一人の先生が出てきました。
言わずと知れた、1番っ子の支援級担任の先生です。
私達親子にやんわりと剣道部入部を思いとどまるように言い続けてきた先生です。
この話し合いに同席するとのこと。
緊張が走りました。
この期に及んでまた思い止まるように言われるのではないか、と。
通された教室では、顧問の先生と土日の活動には参加せずに放課後の練習を中心に参加することをお互いに再確認しました。
これで学校側の不安の一つ「遠征時等に、一人で目的の場所までいけるか」を解消することができました。
試合や遠征については、1番っ子本人も特に出たいわけではないようです。
自信ないし、剣道という新しい世界に踏み出しただけでもう精一杯なはず・・・。
それでも「とにかく剣道の練習がしたい!」という気持ちが強いようだったので、これは別に構わないでしょう。
ただ、剣道部顧問の先生から
「当日になって、やっぱり行きたいと言われても対応はできません」
と念を押されました。
1番っ子は、そんな風にコロコロ気分を変えて周囲に迷惑を掛けるようなことをする子ではありません。
集団行動なら尚更流れを止めないように、兎に角ついていこうと黙って必死になっています。
「普通級では毎日静かに授業を受けている」らしいし、本人曰く「休み時間は誰ともしゃべらない」ような人です。
それはただ、周りについていきたいから。
だから私はすかさず「大丈夫です」と言おうとしました。
しかしそのとき、私より先に言葉を発した人がいました。
横で黙って座っていた支援級の先生でした。
「(1番っ子)さんはそんなことをする子ではないです。きっと、大丈夫」
えっと・・・
え~~~と・・・
いま、なんて・・・?
「きっと、大丈夫」
この先生は、1番っ子が剣道部を希望していることにひたすら難色を示してきました。
支援級の他の先生たちだって、入学前から「運動部に入るのはやめた方がいい」と言っていました。
教育・支援体制や障がい児一般の特性、先生方の経験から、苦い思いをしているだろうに言葉を選んで根気強く諦めさせようとしていました。
分かっていました。
この人たちは、本当は教え子の夢や希望を潰すようなことはしたくないんだって。
いくつもの現実を見てきても、こんなの不本意だって。
でも個人の考えと行政や組織の現状は相容れないことも多いのです。
支援者は⇧の後者側の人間として、その子の数ヵ月後や数年後を考えたときに、いまより悪い方向に進む可能性も考えられるのなら悪役にならなければいけない場合もあります。
私は母親としては前者側の人間、しかし仕事をしているときは後者側の人間です。
私だって仕事だったら、1番っ子の剣道部の入部をやんわりと止めていたでしょう。
遅刻・欠席なし。授業もきちんと参加している。支援級でも楽しく過ごしている。
➡それだけで十分!
家でも毎日手伝いや勉強をしているし、自分の食器洗いや洗濯もほぼ必ずやっている。漫画、アニメ、ドラマ、ゲーム・・・好きなことも色々あるから毎日忙しそう。
➡素晴らしいじゃないか!
部活に支援はない。そんな環境の中で良い成績を出そうと頑張ってきた先輩やこれから一緒に頑張ろうと思っている同級生たちの中で、同じ目標を持って足並み揃えて頑張れるの?頑張れなくて掻き乱してしまえばあちこちから不満が出てくるかもしれないのに。先生に仲立ちしてもらおうとしても、相手はみんな中学生なんだから単純にインクルージブを納得しない可能性だって十分ある。みんなも目標を失って混乱するし、不満の果てに1番っ子の居場所もなくなるかもしれない。最悪、嫌悪や苛めの対象にだってなりかねない。生徒たちの間で支援級に対する悪評が生まれるかもしれない。みんなのこともあるし、そもそも1番っ子は折角学校でも家でも頑張っているのに・・・結果的に全部台無しになったらどうするの!?
➡部活にこだわる必要はないじゃん。たかが部活だよ?それよりもいまの生活を大切にしようよ!!
何度も1番っ子に言おうとしました。
一度崩れてしまったものを立て直すのは本当に大変。
傷ついて、学校に行けなくなってしまったら?
嫌な思い出ばかり抱えて卒業することになってしまったら?
トラウマで社会生活を送れないようになってしまったら?
これからの人生、修復だけで何年も掛かってしまうかもしれない。
障がい故に、尚更果てしない月日が必要になるかもしれない。
だったら崩れないようにして、ゆっくり確実に一歩一歩進んでいけばいいじゃん。
三年間の部活よりも、いまの生活とその先の人生の方が大事だよ!
そもそも剣道部の環境でやっていけると思うの?
だったらなんで1番っ子は支援級にいるの?
本当はそう思えないんでしょう?!
後者側の私は、心の中でいつもそう言っていました。
でも、私は母親として1番っ子をずっとそばで見てきたんです。
明るくて優しくて人懐っこくて甘えん坊で、でも不器用で思慮浅く短絡的で衝動的でわがままで一方的で意味不明なこだわりを持ち、たくさんの人の手を煩わせて育ってきました。
性格や育ち、障がい特性・・・
様々な物が絡まって、障害程度は「軽度」と言われても本当にややこしい子だと思います。
私は何年も自分の頭を抱えて、1番っ子のそばにいました。
でも少しずつ、我慢してやらなきゃいけないことや面倒な事にも向き合うようになり、荒れ狂う感情を自分で鎮め、自分の目で周りを見ようと、自分の足でしっかり立とうと、出来る範囲で前に進んで行こうとしている1番っ子に気付いて・・・・・
だから、私は後者側になりきることはできなかった。
一度は折れそうになったけど、この先の1番っ子も母親として見たかった。
「たかが部活の話」でも。
でも先生は教員として居る以上、私たちの前では後者側の人間でなければいけない。
1番っ子のこれまでの歩みなんて知らないし、端から見たらきっとどうでもいいこと。
結局はどれもこれも、ただの親の贔屓目なのかもしれない。
剣道部入部を止めようとするのは、理解不足でも努力不足でもなく、ましてや区別や差別でもない。
仕事として、私たち親子に不信感を抱かれる覚悟でずっと悪役をしてくれていたのです。
1番っ子の特性や学校生活での様子を見て、やらざるを得ないのだと。
だから、無理ならば最後は私が諦めさせようと。
でも・・・
先生は、1番っ子を「大丈夫」って言ってくれたんです。
きっと分かってくれる人がいるから、自分ができる範囲で努力しよう
ずっと1番っ子に言い聞かせてきた言葉。
本格的に中学校生活が始まってから4ヶ月。
あの子は、ちゃんとやっていたんですね。
9月の連休最終日、私たち家族は顧問の先生から紹介された防具店に行きました。
初めて剣道に取り組むわけですから、一から揃えなければなりません。
竹刀、防具、道着、その他小道具諸々。
セット購入で値下げが適用されて、ざっと七万円です。
もう一度言います。
な・な・ま・ん・え・ん・で・す。
お、おう。貯金崩せ!
ん?そういえば遠征には参加しないし、放課後の練習はほとんどジャージ着用でやるって言っていたような。
防具とか道着はいらなくないか?!?!
・・・・・・・・・・
まぁ、いいか。
頑張って正式に剣道部員になったんだし元々武士に憧れていたんだから、そりゃ欲しいでしょう。
気持ちよく出してあげるわ。
達者でな、ななまんえん。
短い間だったけど、私の口座に居てくれてありがとう!
防具は完成までに1週間ほど掛かるとのことでしたが、竹刀や道着は購入してすぐに持ち帰ることができました。
帰宅後、ソワソワしながら道着に袖を通し始めた1番っ子。
紆余曲折しながらもマイダーリンに手伝ってもらい、なんとか着ることができました。
私よりも10cm以上高い身長、長い手足、竹刀を握って嬉しそうにはにかむ笑顔。
やっと、スタートラインに立てた。
自分の足でここまで来たのです。
この目に映る1番っ子は、ついこの間までしょっちゅう私とぶつかり合っていた幼い子どもではなくなっていました。
眩しくて、不覚にもドキドキしてしまいました。
あれから数日、時折連絡帳を通じて支援級の先生方から「部活頑張ってますよ」とメッセージをいただきます。
部活だけでなく、授業も体育祭の練習も。
不器用な子だから、本当は相変わらずついていくだけでいっぱいいっぱいなのでしょう。
ただ、複数の先生から見て、「よく頑張っている」そうです。
そう、頑張っています。
それでいいんです。
これからも自分でできる範囲で一生懸命頑張っていこう。
目に見えることだけが大事なのではない。
周りの人と比べなくたっていい。
君はすでに自分の力で輝き始めている。
君はまだ気づいていないだろうけど、私達には見えるんだ。
落ち着いて、いつものペースで前に進むんだよ。
君ならできるはずだから。
そう、きっと大丈夫。
なーんてね。テヘッ