年齢=障害者家族歴な主婦のドタバタのほほん日和

重度自閉症者のきょうだい児として育ち、結婚後は軽度知的障害児二人の母になりました。障害支援分野でNsをやっています ☆

卒業の報告とお礼☆いじめを乗り越えた先に見た景色

中一秋の話から

中学生活がスタートしたばかりの1番っ子は「所属する普通級の中で、部活動入部届けを何故か自分だけ受理されない」という状況に陥っていました。

小六では計算高く掴みどころのない、大人の介入が難しい集団イジメにあいました。

そのため私としては、中学校生活は平穏に過ごして欲しいと願っていた矢先のことでした。

 

学校生活についてそれとなく尋ねると、チラッと私を一瞥して「一年のクラスにやな奴がいる」と答えてくれたことがありました。

中学校では、違う小学校から合流する生徒も多数います。

いままで以上に色んな人間関係に揉まれる訳で。。。

相手はどんな子なのか?どういう関係なのか?その状況は?ふざけ合っていた延長で行き違いがあったとか?

1番っ子は、詳細に説明して伝えることが苦手です。

イマイチ分からないので、私はとりあえず「そうなんだ。 やだねー」とだけ、無難に答えることにしました。

 

「支援級生徒は運動部に入部できません」

時は少しだけ戻り、小六の2月。

粉雪舞う平日、支援級入級予定の保護者向けに説明会の場が設けられました。

中学校支援級の目標。

年間の活動予定。

普段の過ごし方。

同時に所属する普通級との兼ね合い。

中学卒業以降の進路。

そして部活動についても説明がされました。

部活動には支援員をつけられない。休日にいる教員数は限られている。遠征に行けば他校の生徒やそこの教員とも関わらなければならない。そこへ向かうための公共交通機関も自力で利用しなければならない etc...

色々説明されましたが、1番っ子には問題ない事柄ばかりでした。

集団に同調して行動する能力はそれなりにあるし。

週末には空手も習っています。

「特別な配慮を付けてもらうことなく武道に取り組む姿勢」は獲得済みです。

公共交通機関も利用できます。

いままで散々家族でおでかけしてきましたから!

でも先生が言いづらそうに最後に告げた言葉が、全てを物語っていました。

支援級の生徒は集団活動を乱す可能性があるから、運動部を希望しても入れることはできません」と。

集団活動を乱すって・・・。

他の学校は「支援級の生徒でも運動部に入部できる」と聞いたことがあるけど・・・

先生が自分の立場を踏まえた上で敢えてこのような危険な発言をしたのは、過去にそう言わざるを得ない何かがあったからなのでしょう。

 

1番っ子は、どんな理由があっても自主的にそのようなことをするような人ではありません。

しかし小六のイジメでは、意図的に1番っ子の防衛的攻撃を引き出す行為、すなわち

「大人が見ていない隙に嫌がらせをする」▶「やられたらやり返すの誘発」

を日常的かつ複数人から実行され、それをあたかも1番っ子が自発的に暴力を振るいに行っているかのように集団工作され、学校内での居場所を失くした状態で卒業を迎えるという、なんとも悲しい結末になりました。

小学校の先生から「何故か1番っ子さんはいつもイライラしている」「友人関係で問題を起こしたので指導しました」「ご家庭でも言い聞かせてください」との報告と忠告をたくさん受けた一年でした。

この1番っ子も「集団を乱す存在」だったのか。。。

意図してそうさせて、苦しむ1番っ子を見て楽しんでいたイジメっ子たちは、「優等生とその友人」として晴れやかに小学校を卒業していきました。

そんな中でも1番っ子の姿を追ってきた私は、運動部への入部を拒まれる理由など本来持ち合わせていないことなど分かっていました。

でも、「そんなことは関係ない」ということも嫌という程実感していました。

「自発的に、そのような状況を作っているのは誰?」

 

そこに焦点は当たらない。

それをしようとする人間の、欲求充足のための「道具」とみなされて利用される方が悪い。

すなわち問題児として弾かれ、叱責される。

そのように扱われるということ。

それを十分に味わったから。

 

1番っ子が入学後に剣道部希望を表明した時、「お母さんからも1番っ子を説得するように」と、当然の流れで言われました。

以前同じような希望をした生徒も大泣きの末に諦めた。お母さんがきちんと説得すれば1番っ子さんも諦められますよ、と。

 

1番っ子は大人の思惑に気づいていたのかもしれません。

あの頃からほとんど私とは口を聞いてくれなくなりました。

同級生にも大人にも、不信感を抱き始めていたのでしょう。

そういえば小六の時に、当時中二のいきがりボーイズ(お互い初対面)に下校時に言い掛かりをつけられ暴行されたこともありました。

入学時にいきがりボーイズは三年生。

普段から目立つ場所で屯って、人目につこうと一生懸命頑張っていました。

これ見よがしに喫煙したり、スマホから大音量で曲を流したり。。。

直接手を出してくることはなかったけど、学校外で煙草の吸殻を投げつけられたこともありました。

いま思えば、当時の1番っ子は相当気の休まらない日々を送っていたことでしょう。

 

そんな状況の中、1番っ子は誰にも相談せずに顧問の先生へ正面から入部届けを出しに行きました。

そして

  1. 遠征には参加しない
  2. 休日の練習にも参加しない
  3. 部活動に関する支援を先生に要求することは絶対にしない

等など、「本人と親はアレしないコレしない」を条件に、入部を受け入れてもらうことになりました。

ダメだと思っていたのに。

君の気持ちが届いたんだね。

良かったね。

 

しかし私の内心は

 

いままであった分、もしかしたら剣道部でも対人トラブルが出てくるかもしれない。

先生からやんわり苦情を言われたら、すぐに引き下がらせなければ再度居場所を失うことになる。

そうなる前になんとしてでも退部させよう。。。

 

なんてことを考えていました。

しかし1ヶ月経ち、2ヶ月経ち、剣道部に関する注意は何もありませんでした。

先生方はずっと気にかけてくださっていたようです。

時々部活動の様子をこっそり見に行き、「一生懸命頑張っていましたよ」とわざわざ私に報告してくれることもありました。

 

普通級で、悪口を言われる日々が始まる

一方、普通級の方では不穏な空気が流れ始めていました。

すれ違いざまに生徒Aが、近づいてきては「バカ」「死ね」と小声で囁かれる。

そんな話を夕食の席で打ち明けられることが、秋の終わり頃から増えてきました。

先生やクラスメートには聞き取れない小声で一瞬の隙をついてやってくると。

その場で気づいている人はいない、頭にきて一発グーで殴ったら先生に怒られた、と1番っ子は困ったように話していました。

 

加害者が増えていく

普通級のクラスにはAの他にも、不快な行動をしようと1番っ子に近づいてくる生徒がいました。

Bから筆箱やノートを取られ、取り返そうとすると床に叩きつけられると。

Bは他のクラスメートにも、遊んでいるだけと称してカバンを蹴ったりお弁当を取り上げて振り回す等の行動を日頃から行っていたそうです。

しばらくするとABの行動に、CとDも加わるようになりました。

四人で1番っ子を取り囲み、「剣道部のお荷物」「顧問の先生が迷惑だと言っていた」とからかってくるようになりました。

彼らは他の部活動に所属しており、剣道部とは関係のない生徒です。

根拠の無い悪口に1番っ子は憤る様子を見せつつも「やめてほしい」と言葉で伝えられませんでした。

拙い言葉で先生に相談しても「相手にしなければいい」と言われておしまい。

まだ詳細を知らなかった私のところには、「何故か理由は分かりませんが1番っ子さんがイライラしている」と、先生から連絡が来るようになりました。

 

・・・あれ?

この言葉、どこかで聞いたことがあるような・・・???

 

そして冬休み前日に普通級で席替えがありました。

明日から長期休暇なのに席替えだなんて。

理由は「1番っ子と一部生徒が合わないから」でした。

そして冬休みが明けると「ご家庭でもきちんと指導をして下さい」「普通級の生活にまで支援員はつけられない。普通級であんなの様子ならあちらの授業には参加させられない」「(本人がいたいと主張しても)無理なら普通級には行かなくていい」と厳しめに注意されるようになりました。

(原因は分からないけど)1番っ子が問題行動を起こしている。中学生になったのだから支援級であろうとなかろうと「指導」を受けるのは当然と。

 

中学生だろうと小学生だろうと、支援級所属だろうそうじゃなかろうと悪いことをすれば叱られるのは当たり前です。

ただ私が気になっていたのは「理由が分からない」。

そのままで、ただ1番っ子の行動を注意するわけにはいきませんでした。

ちなみに前述の「剣道部のお荷物」など発言については、当然先生に伝えましたが「そんなことは言っていません」で終わりました。

そりゃそうでしょう。

「顧問の先生はすごい優しい」と1番っ子から聞いています。

彼らの発言は事実でないことぐらい、言われた本人も私も分かっています。

彼らは1番っ子が憤り、反応し、その結果先生に「指導」され、苦しむ姿を見たいだけ。

「自発的に、そのような状況を作っているのは誰?」

 

既に親にむけて言葉を話さなくなっていた1番っ子。

これはおかしいよ・・・

 

加害行為は肥大化する

会話がなくなったとしても、親子間のコミニケーションは普通にとれていました。

日頃からジェスチャーや筆談という形で返答や要望の表出はあったからです。

私の「今日は何があったのか」「何故教室で一人怒っていたのか」という質問に対しても、全て筆談で答えてくれました。

 

「教室から出ようとしたらドアのところで通せんぼされた。怒りをおさえてどいてと言ったらザコ、死ねと言われた。笑って悪口をいっぱい言われた」

「ロッカーの前で教科書をとろうとしゃがんでいたら背中をけられた」

「廊下を歩いていたら背中をなぐられた」

「席に座っているだけで足をけられる」

「通りすぎる時にシャーペンでさされる」

「筆箱をうばって投げられる。こわされた」

「イスをわざとぶつけてくる」

「(先生が「1番っ子から殴ろうと近づいていく」と言ってるよ)違う。アイツらが先にやってくる。先生にバレないようにしている。悪者にされる前にグーでなぐっておいた」

 

1番っ子が書いた文は、日常的に自分が暴言・暴力の標的にされいるということを示唆していました。

ちょうどその頃、1番っ子は帰宅してすぐに洗濯機を回していました。

毎日、制服のブレザーとワイシャツだけ。

「なんでコレだけ?光熱費の無駄だから家族のものと一緒に洗濯しようよ!」

私は言いかけて、言葉を飲み込みました。

紺色のブレザーに、くっきりと足跡がついていたのです。

 

仕掛けてくるのは誰か、問題の根源は何か

関わりたくないから、自分から近づくことも話しかけることもしない。

あいつらからそばに来て文句を言う。

殴ったり蹴ったりしてくる。

筆記用具を壊される。

怒りで睨みつけると、こっちを見て「ザコだから頭がおかしい」と笑っている。

やり返そうとするとすぐ先生に言う。

それで怒られて、いつも嫌な気持ちになる。

あいつらは、自分たちが怒られたとしても笑っている。

いつも同じ。

だから戦う。

 

「何故か理由は分かりませんが1番っ子さんがイライラしている」

 

「防御的攻撃に注目する・させるいじめ」と孤立化

悪意を向けられたり攻撃をされれば、誰だって自分を守ろうと防御的反応をします。

スマートな防御的反応は、「冷静に不快であることを伝え、これ以上お付き合いできなければそっと距離を置くこと」です。

しかし1番っ子は言葉によるコミニケーションが元々苦手。

小学校入学前は単語や辛うじてカタコトな二語文を話したり、謎の擬態語を用いて伝えようとしていました。

会話力は小学生時代に少しずつ伸びましたが、相手のテンポに合わせて表出性言語を繰り出す能力はいまも年相応ではありません。 

ゆっくり考えた後に文章で表現する方が、まだイケるかも。

中学校入学後も不快感情をその場で訴えることができず、睨み返したり相手を手で振り払うといった、見方によっては挑戦的・攻撃的な行動で表現していました。

それが彼らにとっては面白かったのかもしれません。

自分たちが行動すれば、予想通り分かりやすい反応を1番っ子は返してくれる。

そんな態度の1番っ子に、第三者も同じく予想通りの対応をする。

1番っ子は孤立化し、さらに追い詰められていく。

手のひらで転がすような感覚に、彼らの自己効力感は歪みながら肥大化していったのでしょう。

 

各々が表面化しにくい程度の挑発行動を繰り返し、それに対し1番っ子は自分を守ろうと反抗することを繰り返す日々。

しかし防御的攻撃は、自分を守る術にはならないのです。

一時的に被害を軽減することはできるかもしれません。

しかしそれを必要とする状況に繰り返し置かれているということは、他者への不信感を強め、社会の中で安心できる居場所を失う可能性につながります。

そして鬱のリスクを高めます。

防御的攻撃は自分を守る術にはならないのです。

私は強い危機感を感じずにはいられませんでした。

 

アンバランスな「幼さと大人びた様子」

1番っ子は、一見社会性が高いタイプの子から攻撃をされやすい特性を持っています。

すなわち

  • 毎回「4~5人以上の集団」から目をつけられやすく
  • そのなかに指示役となるリーダー格が必ずいる

 

リーダー格は観察力があり大人受けしやすい行動を熟知している、いわゆる「外面がいい」タイプ。

目上の人や大人が主導する場では、とても上手に溶け込みます。

子どもであっても、空気を読むのはとてもお上手。

満面の笑顔で、時には幼児のように可愛らしく無邪気に接することもあれば、実年齢以上の礼儀正しい振る舞うこともできます。

年齢相応の様子よりも「幼さ」と「大人っぽさ」が、目まぐるしく交互に出現する。

彼らは多くの大人から見て、「とってもイイ子」「非常に健気な子」なのです。

 

いじめで自分の仲間を作る

仕事で(本来の業務とは違うものですが)、似たようないじめ問題に介入したことが何回かありました。

私が担当したお子さんには、加害者タイプもいました。

 

(大人から見れば)誰に対してもイイ感じに接することができる「よくできた子」。

しかし彼らは、大人の介入度が低い集団に入ると、「そうでもない」様子を見せます。

幼児期後期に培ったであろう「友人関係を形成する能力」が、大人が思っているほど育っていないのです。

これは彼らが「大人の目」を過剰に意識して、「特定の評価」を獲得くることに注力してきた結果。

 

大体は、小学校入学以降も「大人を自分に注目させなければならない」「自分を評価させなければならない」という価値観に固執しています。

しかし学校では、幼児期の園生活に比べてソレが難しいという現実に直面します。

教室は広く、児童は多く、自分なりの道徳的価値観のもとで自発的な集団行動をとるように期待されます。

というわけで、幼児期に比べて先生はそこまで子ども一人一人を見てくれませんし、気にかけてくれません。

「友人・仲間関係の形成と発展」は、この時期以降の発達課題のなかでとても重要なものです。

大人とよりも子供同士の関係を深めていくことを、暗に期待され促されます。

そんなこんなで色々不安な気持ちもあるでしょうが、それを抱えつつも大きな集団のなかで「各々が対等で良好な関係を作り、関わり合う」という行動をしなければなりません。

 

友人関係を形成する能力は「大人が思っているほど育っていない」という状況なのに、これはかなりのハードモード。

子どもは遅かれ早かれこれに、いつかはぶち当たります。

なんとか頑張って切り抜ける子もいれば、一時的にダウンしてしまう子もいます。

主体的な意思表示が苦手な子は、支援級所属の会話力が未熟な子のところに行き、同調行動のような仕草や笑い声でコミュニケーションを取る、幼児的な関わり方に固執することもあります(支援級の先生がそばにいるから、居心地もいいでしょうし)。

また、なかには学校には行かず、ハードモードなく過ごせる家庭に留まろうとする子も・・・

 

そして多くはないと思いますが、手っ取り早く仲間を獲得する手段として「特定の誰かを他の誰かと一緒にいじめる」行為をやり出す子もいます。

イジメ行為を共有できる相手を見つけ出し(観察力が高いからか、これがびっくりするほど早い)、それをこっそり繰り返すことによって仲間としての意識を強め、結束していくのです。

 

いじめ加害者は「問題の根源」をうまく隠す

彼らは元々素晴らしい観察力を持っており、頭の回転もよろしいです。

だからこそ、イジメへ抑止力を発揮しようとする大人の存在にはとても敏感です。

その為、大人の顔を頻繁にチラチラと見てきます。

いわゆる「爬虫類顔」というやつです。

 

本来ならば、その傾向にいち早く大人が気づいて介入し、友人・仲間関係を形成・維持する方法を教えてあげれば良いのですが。

「大人が自分に注目してくれない状況」であっても、「適切な友人関係」を時間をかけて経験し身につけていければベスト。

しかし残念なことに、経験の場を設けたり教えたりする以前に、その芽の存在に気づける大人がそもそも多くありません。

人手不足であり、誰もが多忙、いまでも精一杯。

そして何より、芽は常に必死に隠されているのです。

 

小学校時代の話

主に普通級で過ごしつつも支援級の先生から気にかけてもらえた1番っ子は、小学校入学早々に「大人の目を意識して過剰にチラチラと伺う、非常に親切なお友達」ができました。

しかし夏休み前には、雲行きが怪しくなり。。。

それとは別に、1番っ子には支援級を共に過ごす親友ができました。

その親友の存在が、1番っ子を笑顔にしてくれていました。

そして運が良いことに、1番っ子の周囲には異変に気づき陰ながら守ってくる先生が数人おりました。

おかげさまで「大人の目を意識して過剰にチラチラと伺う、非常に親切なお友達」は次第に近寄ってくることはなくなり、穏やかな学校生活を送ることができました。

 

しかし小五の終わりには、守ってくれた先生のほとんどが異動してしまいました。

あのときのことを詳しく知る先生は居なくなり・・・

そして小六になると「大人の目を意識して過剰にチラチラと伺う、非常に親切なお友達」(以下「あの子」)がやたらと近づいてくるようになりました。

一年生の時に散々トラブったからか、二年生以降はずっと違うクラスでした。

六年生でも違うクラスになったのはたまたまなのか、先生の異動前の最後の気遣いだったのか・・・

 

しかし六年生になって夏が来るまでの間に、1番っ子の横に「あの子」の姿を目撃する頻度が、急激に増えました。

運動会の時はあちらから駆け寄ってきて競技の集合に誘導してくれたし、その後の修学旅行の出発駅ではあちらからやっぱり寄ってきて先生の元へ手を引いて連れて行ってくれました。

行事などで私がそばにいる時も、他の子と一緒に行動しようとしている時も「あの子」は1番っ子を誘導しようとやって来る。

何故か視線は私の顔を見て。

1番っ子は自分で気づき判断できるし、そばにいる友達と声を掛け合って行動できる。

何も困っていないのに、なんであの子は自分のクラスを離れてまでわざわざ助けようとやって来るのだろう?

とても親切な態度で私の顔を見ながら1番っ子に優しく話しかけ、状況やどうすればいいかを説明し、1番っ子が返事をする前に手を引いて連れて行ってしまうのです。

嫌な予感しかない。

授業参観で支援級の教室に行った時は、休み時間に「あの子」が遊びに来ていました。

六年生と支援級の教室は違う建物にあるのに、わざわざここまで来るなんて。

いままでこんなことなかったのに。

何かおかしい。

 

一年生からずっと同じクラスだった親友が、六年生の途中で引っ越してしまった時。

別れの手紙の挨拶文には、支援級のお友達の名前や思い出が書かれていました。

その中には、ただ一人だけ普通級所属である「あの子」の名前もありました。

 

「さいきんはみんなでいっしょに遊んだね。ケンカもしたけど楽しかったよ」

 

あの子は支援級の児童じゃないし、1番っ子たちとは二年生からずっと違うクラスだったはず。

なんでこんなにも急に存在感が増してるの?

そして不安に応えるように、担任の先生から少しずつ指摘が来るようになりました。

 

「何故だか1番っ子さんがイライラして他の生徒とケンカをしています。家庭でもよく様子を見てください」

 

特定の子を、怒りながら追いかけている。

その様子を煙たがる生徒もおり、普通級で孤立している。

いままで仲良しだった支援級の仲間にもイライラしている。

その姿を見て下級生が嫌がっている。

 

もちろん1番っ子にもしょーもないところは多々あります。

1番っ子に聞いても「バカって言われる」「ダンスの練習で手が当たったってぶたれた」「こっちは全力で戦っているんだ」と教えてくれましたが、言葉が少なく状況を掴みきれません。

親友の転校と同時期に普通級そのものにも色々ありました。

どの生徒も混乱や動揺をしながら、それでも頑張っているという状況でもありました。

それがより一層、事態の把握を困難にしていました。

 

もともと「やられたらやり返す」ところがある子。

からかい半分な刺激を与えられれば防御的攻撃を繰り出そうとする、その行動パターンは問題だと常々感じていましたが・・・

 

先生の異動や親友の転校が重なったショックや寂しさでおかしくなっているのか。

何一つはっきり分からないまま日々が過ぎていきました。

 

ただ、冬の始めには「もう普通級には居たくない」と1番っ子は訴えるようになりました。

だから当時の支援級担任の先生にそれとなく伝えました。

 

普通級で友達と上手く関われないことを本人も反省し苦しんでいるようです。少し支援級で過ごす時間を増やしてもらえませんか?

 

この要望に対しての返答は

 

他の生徒も受け持っているので、申し訳ありませんが1番っ子さんにまで手を回せません

 

でした。

このまま対応を求め続けたら、他の生徒が享受できるはずの支援時間を削ることになる。

他人の権利を奪うことになる。

そんなことをしたら、きっと今まで以上に面倒な児童として認識されてしまう。

これ以上、1番っ子を孤立させる訳にはいきませんでした。

当時の先生は以前のイジメを知りません。

低学年時代に垣間見た加害児の特性も。

優等生キャラの「あの子」について、なんて伝えればいいのか。。。

 

私が手をこまねいている間に、状況は介入困難のラインをとうに越してしまっていました。

もっと早くに、予防線を張っておくべきだったのに。

 

1番っ子はそれ以降も学校を休まず、国語や算数、裁縫など特定の授業以外は普通級で過ごしました。

時々、仲良しだったのにいまはケンカばかりの友達から一緒に遊ぼうと誘われたことを、ボソッと家で話してくれることがありました。

お友達の誘いに「うん」と1番っ子が応えても、直後に「あの子」がやって来て「僕も一緒だよ」「だから無理して遊ばなくてもいいよ」「そんなに無理しなくてもいいんだよ」と気遣うように言って、1番っ子を残しみんな去っていく、、、ということが繰り返されたそうです。

 

小学校卒業式の話

そして数ヶ月後の卒業式当日。

話しかける1番っ子無視したり、そばを歩いただけで舌打ちして睨む同級生の集団を、私は開始前に目の当たりにしました。

そのなかには夏前まで1番っ子とずっと仲が良かった子もおりました。

私が挨拶をしようと何度話しかけても、聞こえていないかのように、見事に無視。

手を振って真横から話しかけているにも関わらず、能面のような顔をして頑なに目を向けようとしない。

明らかに聞こえているのに。

その集団のなかにも、やっぱりいる「あの子」。

陰湿且つ堂々とした態度を目撃して、何か違和感を感じたのでしょう。

「あの子」の父親はみんながいる前で「こっちに来て静かにしていろ!」と語気強く大声で呼び、我が子を集団から離しました。

また他の父親は私の挨拶を無視する我が子をを見てすかさず「返事くらいしたらどうだ!!」と怒鳴っていました。

以前は大人の目にとまらないように、イイコでいられるように細心の注意を払っていたのに。

数ヶ月も介入されることなく継続し尽くしたイジメは、彼らの感覚を麻痺させていました。

みんなの前でされた父親の態度に、目を見開いて驚く彼らの姿はやや恥ずかしそうでした。

第三者から見て、「異質」と捉えられて然るべきラインをとっくのとうに越えていたことに、やっと気づかせてもらえたのかもしれません。

私は、何も言わず式に向かう1番っ子の背中を、黙って見守るしかできませんでした。


中学校入学式の話

あれから数日。

「あの子は他校に進学した。これからは安心して新しい友達関係を築けるはず」とホッとしながら入学式を迎えました。

その時に見た光景は、衝撃的でいまでもはっきりと覚えています。

ついこの間、卒業式で睨んだり舌打ちをしていた子たちが、笑顔で1番っ子に話しかけてきたのです。

能面っ子も。

戸惑いながらもぎこちなく笑って返事をしている1番っ子の顔を見て、なんとも言えない胸の痛みを覚えました。

そして以前読んだ某論文の一節を、ふと思い出したのです。

 

集団いじめは首謀者がいなければ、発生も継続もしない

 

その後、卒業アルバムをめくって気がついたことがありました。

「あの子」は1番っ子が所属したクラブにも委員会にも、同じ写真の中に写っていました。

1番っ子の横で笑顔で。

こんなところにまでいたんだ。。。

執着心の強さに寒気を覚えました。

 

ただ、「あの子」は別にイジメが好きだった訳ではないのでしょう。

お仕事を通して、加害児側の子全般にそう感じたのです。

彼らは、友達関係を形成するきっかけや維持する為の「道具」が欲しかっただけ。

1番っ子は、たまたま入学直後にその適役として白羽の矢を立てられ、卒業まで利用されたのでしょう。

「あの子」は、自分の居場所を形成し保ちながら、その足元で1番っ子を踏みにじって去っていきました。

 

「いじめのターゲット」にされやすいからって、大人しく泣き寝入りするわけねーだろ!!

入学した中学校には「あの子」はいません。

しかし首謀者たる特性を持つ生徒は、一定人数以上が集まると、そのなかに紛れ込んでいるようです。

 

挑発すれば分かりやすい反応を示し、上手く被害を説明できず、不器用で先生や同級生との関係を築くのにも時間が掛かる1番っ子。

「こいつ相手なら自分たちのイジメ行為が露呈することはなさそう」

防御的攻撃の原因を上手く隠せば、「1番っ子=イライラを振りまく問題児」、「やり返された側は被害者を装える」という図式を作ることも可能です。

加害者側が1番っ子を罰するフリをしながら「正義」としてキャラ立ちすることだって十分に。

なんにせよ、1番っ子を孤立させることは簡単。

入学したばかりで不安定な人間関係の中。

この図式を仲間を募って実行すれば、イジメ行為を共有できる集団はすぐに完成させることができます。

そして仲間関係を維持するためには、継続すればいいのです。

影でコソコソやればやるほど、結束も強まるでしょう。

しかし第三者は例えイジメがあったとしても「感情や情動」では対応を開始できません。

事前情報に誤解や間違いがあったらどうする?

組織を混乱させて、無関係な人たちの生活にも影響が出るかもしれない。

安易に行動したと批判され、信頼関係も崩れ、自分たちの立場だって危うくなります。

当事者はそんなこと関係ないから怒りで行動できるけど、第三者はやはりきちんと明らかにしてからでないと助けに行けないのです。

そして集団性や結束性が高いイジメほど、助けに行くきっかけを隠されやすい。

掴みどころを見つけるのに大変苦労します。

 

 

それでもさ、1番っ子さんよ。

黙って洗濯して済ましたりせずにちゃんと教えてよ。

今日も蹴られたって。

踏みつけられたって。

母さんは絶対に許さない。

今度は助けてみせるから、あとは任せなさい!!

 

理不尽さに介入しないまま、「道具や踏み台として利用されても仕方がない」と受け入れるなんてできない。

普通級の活動に参加したいと希望する1番っ子を無視して「我慢しろ。それができないなら行くな」と指示するなんて、私の選択肢にはありませんでした。

だからと言って学校に訴え出て、 「大層な問題は見あたらない(上手く隠せる)生徒たち」に関する「貴重なご意見」を高らかに主張し対応を要求しする保護者になるわけにもいきません。

そんなことをしたら「面倒な保護者=モンペ」というポジションを獲得するだけです。

それでは解決しないし、1番っ子をより孤立化させてしまうでしょう。

 

孤独でも、味方になってくれる人は必ずいる・・・はず?

それでは誰も、味方にはなってくれません。

1番っ子がいくら頑張っても、私がそんなことをしたら全部駄目になってしまう。

何故なら相手は、社会性が高く大人ウケの良い行動を熟知している可能性があるのです。

 

そこからは先生とのやり取りを重ねました。

時間は掛かりましたが、慎重に、ただ「何をされたか」をその日のうちに1番っ子から聴取し、毎回登校時に提出する支援級の連絡帳を通して先生に伝えていく日々を続けました。

当然、すぐには対応してもらえませんでした。

「1番っ子さんがまたイライラしており、普通級の生徒とぶつかり合っていました。ご家庭でも指導してください」→「本人に聞いたところ、事前に〇⚫〇⚫ということがあったそうです」→「今日も文句を言われたと一発殴ってしまったそうです。しばらくイライラしていました。ご家庭でもしっかり指導してください」

紙の上で、このやり取りが繰り返されました。

ABCDに「指導」がされたのかどうかすら分からないことがほとんど。

いつもと変わらない毎日が続き・・・

 

それをしばらく続けた後、私の頭の中に湧いてきた気持ちは「こいつぁ埒が明かない」「なんも変わんねぇ」という無力感でした。

そこで、これまで連絡帳に書き溜めた被害の中身を、なるべく原文のままにA4ルーズリーフに書き出しました。

経過を分かりやすくするため各日付込み。

ソコソコ小さい文字で二枚にギッシリ。

「いまさらですが、家庭ではどのような指導をすればいいですか?」

という問いを添えて連絡帳に挟み提出しました。

 

1番っ子には毎回筆談を通して傾聴をしました。

理不尽さへの怒りに共感しました。

防御的攻撃ばかりしていても結局自分が辛くなること、他人を信じられなくなること、居場所を失うことを説明し、何度でも先生に相談するように、お母さんからも伝えているからと説得しました。

数ヶ月繰り返されてきた「家庭でも指導を」。

具体的に、それはなんなんですか?

私がそれをすれば、彼らが自発的にしてくる嫌がらせは無くなりますか?

文句を言ったり暴力を振るおうと近づいてくることを、やめるようになりますか?

なんでこんなにしつこくされなきゃいけないんですか?

結局1番っ子は、どうなればいいんですか?

冬が終わろうとする頃に「学年会議で話し合います」という先生からの文言が、連絡帳に書かれました。

しかし大人が集まって話し合ったところで、それ自体がイジメの抑止力になることはありません。

大人に気づかれにくい形で行われるイジメは、露呈しない限界を探りながらどんどんエスカレートしていくものです。

私が「中学校でもイジメが起きている」と察してから、外の景色は大きく変わっていました。

秋はすれ違いざまに小声で「暴言」を囁かれる程度でしたが、少しずつ「陰での暴力」に。

そして冬には、悪ふざけと称した「クラス内での暴行」へと変化していました。

 

いじめは止めなければエスカレートする

学年末には、より堂々としたものになっていました。

ある日、授業が予定より五分ほど早く終わった時のこと。

1番っ子は席に座ったままでいました。

そこにBCDが笑いながら1番っ子の口真似をして近づいて来たそうです。

その場にいた先生は、学年会議で話し合った直後だったので、彼らの行動を観察していました。

嫌なものを察して無言で立ち上がり席を移ろうとした1番っ子。

しかし三人が立ちはだかり行く手を塞いだため、1番っ子は手で払い除ける仕草をしました。

その手が体に当たったと一人が言い、Aを呼び寄せました。

嬉々としてやって来たAは「剣道部の恥」「剣道部のゴミ」「死ね」とみんなの前で囃し立て。

それに対して1番っ子が一言「バカ」と言い返し、ムッとしたAは足に蹴りを入れてきました。

1番っ子は無言で裾に付いた汚れをはたこうと、その場で屈みこみました。

その瞬間を狙ったかのようにBは1番っ子の顔面めがけてさらなる蹴りを。

そしてそれはクリーンヒットしました。

その光景に教室は騒然となったそうです。

 

以前はバレないようにコソコソしたり、「ただの悪ふざけ」で誤魔化そうとしていたのに。

これはその感覚すら麻痺するくらいに放置し続けた結果。

軽傷で済んだものの、これまでの裏付けとこの決定的な場面により学校もいい加減動かざるを得なくなりました。

やっと、加害者生徒の親にも連絡が行くことに。

1番っ子だけならば「何故だか分からないけど家庭でも指導して」とその都度言えたのに、あちらにはやっとです。

クラスの全生徒の前で、ましてや先生が見ている目の前で、彼らが堂々と愚弄し暴行をするようになるまで動いてもらえませんでした。

たくさんの明らかなサインが出ていたのに、何故こんなに待たなければならなかったのか?

それはいまでも分かりません。

しかしここに至るまでに、ただ「何をされたか」をその日のうちに1番っ子から聴取し、先生に伝えていくことをしてこなかったら、「ABCDの方こそ問題があるであろう生徒」に変換する為の作業を繰り返し行ってこなかったら、

この出来事すら「1番っ子にも問題があるから起こったもの」として「一緒に反省という指導をして終了」「そして同じ毎日が繰り返されていく」だったかもしれない。

そう思うとゾッとします。

 

結局、加害行為は「育ちの問題」

しかし根本的に悪いのは学校でも先生でもありません。

あちらには本業としてやるべきことはたくさんあるのだし、立場だってあります。

私の仕事も同様です。

こういう問題には下手こけない。

慎重にやらなければならない。

だから私は、特に何も言いませんでした。

それにも関わらず、その後は春休み明けまで先生から何度も謝罪をされました。

 

対照的に、一番の問題である加害者本人やその保護者からは、その後誰一人として謝罪の言葉や電話の着信一つありませんでした。

せめて顔面に蹴りを入れたBの親は、一言くらい謝りに来いよ!!

 

いまからでも遅くないぞ〜。

・・・いや、無理か。

だんまり決めて逃げきりましたよ。

 

ところで、剣道部ではどうだったの?

一年生の終わりに、気になったので1番っ子に聞いてみました。

剣道部の方では、こんな状況でも君に嫌なことをしてくる人はいなかったの?

と。

そしたら真顔で片手を左右に振る1番っ子。

 

ないない。絶対ない (ヾノ・∀・`)

 

そして筆談で「みんないいやつ」と書いて見せてくれました。

それはよかった。

 

「観衆または追従者」の役割

二年生になり、ABCDは、それぞれ別々のクラスに分けられました。

そして1番っ子がいるクラスには誰一人として配置されませんでした。

ほっ ε-(´∀`;)

そしてCとDは、春休み前の騒ぎを境に1番っ子に近づいてくることはなくなりました。

彼らは釣られてあとからいじめに参加した、言わば観衆」または「追従者」のようなもの。

これは主に「手先」「人前での実行役」「首謀者の隠れ蓑」「露呈時の責任の分配先=首謀者が負うべき罰の軽減役」などの役割があります。

首謀者の「罪意識の軽減と安全の確保」に一役買い、悪質性を高める一因にもなります。

しかし本来ならば、「観衆」または「追従者」は自分の立場を犠牲にしてまでイジメをすることを好みません。

彼ら自身も「責任は首謀者にある」「露呈した時に、前に出て謝罪をする・主に罰を受けるのは自分たちではない」という考えを潜在的に保有しており、安全圏の中で楽しんでいるのです。

これはどっちもどっち。

「仲間」ではあるけど、そんなのは「友達」じゃありません。

本質的な危うさに気づいたのでしょう。

CとDはそそくさと退散したのでした。

 

「首謀者」はしつこい

問題はAとBです。

彼らは最初から自発的に1番っ子に嫌がらせをしてきた張本人。

つまり「首謀者」です。

「首謀者」は、自分に内在する不安や欲求を満たす為の「道具」「踏み台」に異常なくらい執着します。

それは明らかな「依存」

彼らのような子から感じるのは、「自分自身の欲求充足を他者に依存する傾向」。

そして「自分が上手くいかないのは他人のせい」。

だからきっとこの先も何かあるはず。

と思っていましたが、先生たちが水面下で動いてくれていました。

AとBは新年度早々にも近寄って来ては、1番っ子を挑発しようとする仕草を見せていたそうです。

それに対して普通級と支援級それぞれの先生がすかさず間に入り、「なんの用?」「自分のクラスに戻れ」と追い払ってくれたと、1番っ子から教えてもらいました。

どちらの担任の先生も私にとっては面識のない方々です。

 

ならば!!年度始めの面談で、ご挨拶と共にお礼を言わないと!

でもその前に、やらなければならないことがありました。

 

アノ時、怒鳴りつけてしまったアノ人だ(汗)

またまた話は小六に戻ります。

冒頭に書いた「当時中二のいきがりボーイズ(お互い初対面)に下校時に言い掛かりをつけられ暴行された 」という件。

あの日は2番っ子がワケあって入院中だったため、私は病院にいました。

だから詳しくは知らないのですが。。。

どうやらいきがりボーイズが居なくなったあと、連絡を受けた父親(通称マイダーリンさん)が現場にすっ飛んで行き。・*・:≡( ε:)、同じく連絡を受けた当時1番っ子の担任だった先生もやって来て、そしてさらに中学校からはいきがりボーイズの学年主任の先生も駆けつけてきたそうです。

そこで父親(通称マイダーリンさん)は何を血迷ったのか

「なにしてくれてんだ、テメェ、コノヤロー!!!(#`皿´)<怒怒怒怒怒怒」

と学年主任の先生を怒鳴りつけてしまったらしく。。。

いや、悪いのはいきがりボーイズとそういう風に育てた親たちであって、先生を怒ってもしゃーないじゃん?

と、あとから聞いて父親(通称マイダーリンさん)に苦言を呈した次第です。

話によると、学年主任の先生は何度も「申し訳ありません」と頭を下げていたそうな。

 

(いや、こちらこそ父親(通称マイダーリンさん)が申し訳ありません)

 

1番っ子が一年生の時、いきがりボーイズたちは三年生。

あの先生はその時も彼らの学年主任でした。

お会いできる機会はありませんでしたが、支援級の先生にそれとなく「あの時の先生にすみませんでしたとお伝えください」とお願いしました。

一度会ってきちんと謝りたかったけど、いきがりボーイズが卒業したら異動しちゃうのかな。

または気持ち新たにピカピカの新入生たちの方に配属されるかも?!と思っていましたが。。。

 

二年生担当の先生名簿を見ながら

 

「1番っ子のクラスの先生、この学年にこんな名前の人いたっけ???」

 

と思っていたら。。。。

横から父親(通称マイダーリンさん)が

 

「この名前、俺が怒鳴っちゃったアノ先生じゃん」

 

・・・・・

・・・・・・・・・・・・・!!!!!

マジで?

え?こっちに来たの?

今度ある面談、どんな顔して教室で向かい合えばいい?

1番っ子の話なんていいから、まずは謝らないと。

とにかく謝らないと!!!

 

「1番っ子さんの中学校生活を私に守らせてください」

面談当日、教室に入るや否や真っ先に頭を下げました。

 

私「夫が、夫が大変失礼なことをしました。あの時は本当に申し訳ありませんでした!!!」

 

厳ついマッチョ系の先生は困ったように笑い

「とんでもない。親御さんが怒るのは当然です」

と言ってくれましたが。。。

いやいや、怒りの矛先が違うのです。

先生じゃないんです。

そうやってあいつらを育てた親の問題なんですー!!!ヾ(。`Д´。)ノ彡

と言いたかったけど、先生は私が言いたいことを分かったかのようにやんわり制止してくれました。

そして私と、横でボーッと様子を眺めている1番っ子に席に座るように促し

「これから一年は1番っ子さんの周囲をよく観察します。普通級での席は教壇の目の前にしました。いまでは毎日お友達と仲良く話していますよ」

と。

昨年度は、普通級に友達はいないと言っていた1番っ子。

そういえば、二年生になってから三人ほど仲の良い友達ができたと教えてくれていました。

「昨年度イジメをしていた生徒たちは掃除の時間に接近してくることもありますが」

本当に執念深くてしつこい奴らだな!!

「教員が追い払えばすぐにいなくなります」

まぁ、そういうタイプだよね。

少なくともAは、やり口から見て「目上の人や大人の前ではナルベクイイ子タイプ」だろうし。

でも放課後になると体育館の手前で待ち伏せしていて、ニヤニヤしながら「剣道部の恥」「剣道部のクソ」と悪口を言ってくるって1番っ子が書き書きしていたな。

その場にいる剣道部仲間が1番っ子を庇って「いい加減にしろ!」って注意してくれることもあると ( o̴̶̷̤̤̮ωo̴̶̷̤̤̮ 感謝.*・゚ .゚・*.)

その影響かは分かりませんが、1番っ子は無視して問題をこれ以上大きくしないように気をつけることにしたらしいです。

本当!?それは凄い成長だ ( ˙0˙)オオォォ

先生は笑顔ですが、最後に強い目力で真っ直ぐにこちらを見て深々とお辞儀をしてくれたのでした。

「至らない点はありますが、どうか私に1番っ子さんの中学校生活を守らせてください」

 

「これ以上調子に乗るんじゃねぇ」

あれからしばらく、本当に平穏な日々が続きました。

支援級の担任の先生は他校から異動してきた方で、状況を掴みきれないなりに1番っ子の学校生活を陰ながら守ろうと尽力してくれました。

お陰様で、夕方に1番っ子がブレザーとワイシャツだけを洗濯している姿も見なくなり・・・。

1番っ子からABCDに関わろうとすることは一切なく、あちらからフラフラと近寄ってくることはあるものの大抵は先生が追い払い、一部は1番っ子も相手にせずにスルーしようと努力してみる日々。

1番っ子は学校生活を「楽しい φ(..)カキカキ」と答えるようになっていました。 

昨年度とは打って変わってなんて平和なの!!

 

しかし、そうはいかぬのこんこんちきです。

 

以下は1番っ子と、目撃していたお友達、あとは先生から聞いたお話です。

ある日の放課後、1番っ子が1階から2階へ行く階段を登っていた時のこと。

そこへ2階からBが降りてきました。

Bは1番っ子に向かって「人間の出来損ない」「死ね」などの暴言を、聞こえるように言ってきました。

その声を聞いてBに気づいた1番っ子は、舌打ちをして胸の前で片手を握りました。

直後Bは怒りだし、階段を駆け下りてきました。

そして1番っ子の身体に体当をしながらワイシャツの胸ぐらを掴み

「てめぇ殺すぞ」「これ以上調子に乗るんじゃねぇ」

と言って目の下を殴ってきたそうです。

危険を感じた1番っ子はBの胸ぐらを掴み返し、階段上で押しつ押されつの揉み合いに。

小学生から習っていた空手や部活動のおかげで力がついていたのか、Bが小柄な体格だったこともあり、1番っ子は相手の胸ぐらをつかんだまま階段を降りて行きました。

幸運なことに、その先には支援級の教室が。

両手でBの胸ぐらを掴んだまま片方の足で支援級のドアを開け、教室の中にBを押し入れました。

その場には支援級の先生たちがいました。

「なんだ?なんだ?」

と突然のことにわけが分からない様子の先生たちを見て、Bは慌てるように無言で走り出て行ったそうです。

その後に1番っ子から、何がこうしてどうしたからああしたと説明を聞いた先生たちは、キョトーンの後に驚き、青ざめた・・・

という次第です。

当然の如く、Bの保護者には後ほど事態を報告する連絡が行きましたとさ。

 

あちらの保護者からは、それに関してもな〜んのリアクションもなく現在に至ります。

本当にダメね、あの親子は。

 

調子に乗る

「調子に乗るな」の調子には

  • 得意な気持ち
  • いい気分
  • 物事が順調である様子
  • 好調

などの意味があります。

よって調子に乗ること自体はとても良いことなのです(経済活性は、「調子が良い」の集合体がしてくれますしね!)。

しかしそれに「乗るな」を付けると戒めの言葉になります。

これは

上手くいっているからといって、他人に傲慢な態度を取ったり物事を軽く見ていると転落するぞ

という、自分自身への「忠告」として心の中で使用する言葉です。

「上手くいっているときに出てくるであろう自分の欠点」が具体的に分かっているからこそ、「慎重になれ」と自分自身にブレーキをかけるのです。

よって本来は他人に向けて使用する言葉ではありません。

明らかに他人に迷惑をかけて危なっかしいのであれば、多少なりは使えるかもしれませが。

しかし現状でBとは「学校が同じ」というだけで他に接点はありません。

普段から先生が接触しないように防御までしてくれている。

このような状況で、Bは1番っ子の何を指摘しようとしたのでしょうか?

ましてや発端は、自分からわざと発した暴言。

状況からして、Bが忠告してまで制止すべきものなど、その場にはありません。

しかしBは敢えて1番っ子に

  • 得意な気持ち
  • いい気分
  • 物事が順調である様子
  • 好調

でいるなと牽制をしたのです。

他人に向けた「調子に乗るな」は、忠告であったとしても非常に抽象的な表現です。

そして向けられた側は、よく分からないままに取り敢えず罪悪感を感じます。

そして「人前ではもっと大人しくしよう」「縮こまっていなければならない」と自分を抑制してしまうのです。

罪悪感を想起させることにより相手を踏み留まらせ、自分の優位性を確保する。

「操作」こそが、この言動の目的です。

Bを動かしたもの。

当時の1番っ子を見て「自分よりも優位な場所に行こうとしている」と危機感を感じたのでしょう。

数ヶ月前は、常に自分たちに意識を向け警戒していたのに。

聞こえるようにみんなで悪口を言い、イライラさせ、先生に叱責されるように仕向け、孤立させ、痛めつけていた。

その様を見れば、万能感や優越感で満たされて楽しくなれたのに。

ただの「道具」だったヤツが。

そうはさせないと先生に保護され、友達を作り、笑顔を見せるようになってきている。

それに対して自分はというと、イジメ行為が広く露呈したことにより仲間関係に否定的な見方をされ、大勢から人間性に疑問の目を向けられるようになっている。

 

元々Bは「衝動的な問題行動が多いタイプ」と認識していましたが、この件は焦りが募り後先考えずに動いてしまった結果なのでしょう。

1番っ子への依存により成り立っていたBたちの自尊心は中学生特有のものと相まって急激に低下しました。

それすらも、1番っ子のせいにしたかったのかもしれません。

その感覚はさぞかし惨めであっただろうと、勝手に想像してフフッ(*´艸`)となってしまう私なのでした。

 

だってその惨めさは彼らと彼らの親の問題だもの。

彼らの自尊心の幼稚さに、1番っ子はなんの責任もないのです。

 

その日の夜、私は1番っ子から筆談で詳細を聞きました。

そして

「よく頑張ったね。君はBに劣等感を感じさせるくらい、良い学校生活を送っているってことだよ。Bは調子に乗るなって言ってたけど、他人に迷惑をかけなければ調子に乗るくらいがちょうどいいんだから。これからも君らしく良い学校生活を送ってね」

と話しました。

① (*꒪꒫꒪)(  ._.)コクコク

 

少しずつ友達が増えた

年度末、キャリアパスノート内にある「どんな1年でしたか?」という欄に、1番っ子は

「少しずつ友達が増えて少し前向きになれたような気がする」

と書いていました。

良かったね。

三年生になってもいまと同じ感じで過ごせるといいね。

 

しかし、ひとつ大きな変化がありました。

普通級の担任の先生が、異動により他校へ移ることが発表されたのです。

 

「1番っ子さんの中学校生活を守らせてください」

 

あの時の言葉通り、先生は1番っ子の一年間を守りぬいてから次の赴任先へ行きました。

 

中学三年生の話

最高学年に進級しました。

支援級の担任は昨年度と同じ先生です。

普通級の先生は、若く一生懸命な可愛らしい人でした。

昨年度の「厳ついマッチョ系先生」とは正反対の、周りに小さな花がとんでいそうな可憐なお姉さん( ❛⃘ੌᵕ ❛⃘ੌ  )♡

昨年度は守ってもらった一年でしたが、今年はそうもいかないでしょう。

私の不安を察したのか支援級担任の先生がやんわり教えてくれました。

「1番っ子さんの今年のクラスは、特に穏やかな子たちが集まったクラスです」

「道具」を必要としない、幼稚な手段で自己効力感を満たそうとすることのない、他人に依存せず自己実現を図る、年相応に自律した子たちが主なメンバーということでしょうか。

しかし時々はABがちょっかいを出そうとしてくることがあったと、支援級の担任の先生がこっそり教えてくれました。

でも1番っ子は相手にしていないと。

。:.゚おぉ(*゚O゚ *)ぉぉ゚.:。 ゚!!

「1番っ子さんの方がよっぽど大人ですよ。というよりも彼らは一体何をやっているんだ。君たちは他にやらなければいけないことがあるだろうと言いたくなります」

と先生は面談の場で呆れや怒りを滲ませながら呟いていました。

いつもクールで淡々としている先生なのに。

支援級だけでなく教科の学年授業も受け持っているから、色々大変なんだろうなぁと察した次第です。

あとから「相手にせず我慢しているの?」と1番っ子に聞いたら

「担任(支援級・普通級共に)や顧問の先生に話を聞いてもらっている」

「それで気持ちが少し楽になる」

と教えてくれました。

そっか。

それはありがたいね。

 

本当に、普通級でも支援級でも平穏に過ごすことができていたようです。

普通級にいる時は、支援級の先生のサポートはありません。

入学時から苦手な数学と理科の授業は支援級で受けていましたが、それ以外はずっと普通級。

自分でスケジュールや持ち物を管理して行動できる1番っ子は、日常的な集団活動そのものにはなんの問題もなく参加できました。

体育祭や合唱コンクールは普通級で活動し、校外学習や修学旅行はサポート級の仲間や先生と共に行動。

修学旅行中の食事やお風呂は普通級側で過ごしたみたいですけど。

一番の思い出は、「みんなと一緒に入ったお風呂が楽しかった」だとかなんとか。

観光地じゃないんかい(笑)。

可憐なお姉さん先生からも面談の場で

「支援級に行くときは必ず事前に報告に来ます。学活前には手伝うことはないかといつも私に声を掛けてくれます。欠席している同級生がいると、その子の机に配布物を入れてくれます。行動力も思いやりもあり、こちらでもうまくやっていますよ」

と言われました。

集団の中でも、他者に向けて1番っ子らしく振る舞えるようになってきたようです。

これは毎日を安心して送れてれている証拠。

立派ー!うちでもそうしてよー  (ノ∀`*)ノ))Å`)

と、すかさず横にいる1番っ子を褒めたたえ背中をバンバンしたのですが、返ってきたのは照れ隠しの無表情&無反応。

その姿を見た先生から

「え?本当にお母さんとは一切話さないの?」

と苦笑されたのでした。

①(*꒪꒫꒪)(  ._.)コクコク

 

三年生でのこの状態は、1番っ子が「自発的に問題を起こす生徒ではない」という事実を証明するには十分でした。

 

秋、運動部の引退試合前日。

最後の練習を終えた1番っ子は、剣道の袴や道具一式を抱えて帰ってきました。

「試合には参加しない」などの約束を守り通し、みんなよりひと足早く引退をしたのでした。

大きな防具も一緒に。

入部を受け入れてもらった喜びと共に一緒に買いに行ったね。

できあがったらすぐに学校に持って行って、それっきり一度も帰ってこなかったね(笑)

 

おかえり。

よく頑張ったね。

いままでありがとう。

 

卒業間近

三月になってすぐ、1番っ子は空手の昇級試験に合格しました。

六年生の時に、自信を失って俯いてばかりいた姿を見て「君は地道に頑張れる子。それはすごいこと」だと知ってほしいという気持ちから、週末に習ってみないかと勧めた空手。

「障がい児としての支援はなくていい。他の子と一緒の指導をしてください」とお願いして始めてからもう四年が経とうとしていました。

順調に昇級を重ね、いまは五級。

あの頃より強くなりました。

それは身体や技術だけでなく。

 

支援級では「お世話になった先生方にお礼の手紙を書く」という課題が出ていました。

そこには二年生の時に定年退職した当時の支援級主任の名前もありました。

この先生は、冒頭の「支援級の生徒は集団活動を乱す可能性があるから、運動部を希望しても入れることはできない」を言った人です。

支援級の主任とはいえ1番っ子の担任ではなかったため、私はあれ以来お話をする機会はなかったのですが。

「入学前に釘を刺したのに、結局ゴネて運動部に入った自己中親子だと苦々しく思われてただろうなー。定年前に申し訳ないことをした」

と内心罪悪感を感じていました。

あの先生にも書くの?書いたら渡してもらえるの?

と1番っ子に尋ねると(*꒪꒫꒪)(  ._.)コクコク

「渡してもらえるし、先にコレもらった」

という文字と共にカードを見せてくれました。

そこにはその先生の名前と共に

 

三年間、よく部活動を続けましたね。真剣に取り組む姿勢は本当に立派でしたよ。たくさんの思い出をありがとう。

 

というメッセージが書かれていました。

1番っ子は、口はうまくありません。

会話で主張し自分自身を表現することは大の苦手。

しかし行動で示し、自分が信じた道を自分の足で進もうとすることはできます。

不器用で愚直ですが、そんな姿を理解し応援してくれる人は必ずいる。

1番っ子は、そろそろ気づき始めたかもしれません。

 

卒業式の話

式の数日前、先生から質問されました。

「卒業証書授与の呼称は、普通級と支援級どちらの担任が行えばよいでしょうか?」

支援級の生徒は選べるそうです。

授与は普通級の生徒に混ざって、出席番号順に行われます。

普通級の中にいて、一人だけ違う先生に呼ばれることを恥ずかしがる生徒もいるらしく。

しかし私が決めることではないので、1番っ子に聞いてみました。

すると1番っ子は筆談で、支援級の先生の名前を即答。

 

(普通級の先生)にもおせわになったし、よい先生。

でも(支援級の先生)はとくべつ。

 

そうだね。

あの先生は君の苦しみや私の怒りを理解し、陰ながら支え続けてくれた人。

前を向いて歩き出した君を、人知れず後ろから守ってくれた人だからね。

 

式前日、帰宅した1番っ子から支援級の連絡帳を受け取りました。

小学校入学からずっと続けてきた先生とのやりとりも、これが最後。

1番っ子の分は、これでおしまいです。

私よ、9年間よくやった!

先生は最後のコメントに、1番っ子の姿を「頼もしかった」と書いてくれました。

 

式当日、私は保護者席の一番後ろに座っていました。

遠く離れた場所だったけど、ステージ上で名前を呼ばれた1番っ子の「はい」という返事は、私の耳にしっかり届きました。

日頃から真面目にやっている生徒は、やっぱりこういう時もビシッと決められるぜ!

背筋を伸ばして前を向き、堂々と歩く姿は、私から見てもとても綺麗で、頼もしかったです。

 

そして、旅立ち

卒業式から数日後、1番っ子は剣道部の用事に呼ばれて再び学校の体育館に向かいました。

顧問の先生と後輩の子たちが、三送会を開いてくれたのです。

数時間後、1番っ子は花束と寄せ書きと集合写真、さらには名前が刻まれた記念品を持って帰ってきました。

寄せ書きには一人一人のメッセージと共に、手書きの可愛らしいキャラ絵がギッシリ。

後輩の子が描いてくれたそうです。

みんな、剣道の袴を着ています。

中央の絵はたくさんの花と虹の上に立ち、手を繋ぐ三年生。

そして長い一本のリボンを手に持ち、それを輪にして三年生を囲む後輩と先生たちの絵。

笑顔いっぱいに。

 

「(1番っ子)先輩

    行ってらっしゃい」 

 

そしてそれらとは別に、何やら手に握りしめていました。

メッセージが書かれた透明の小袋。

その中に入っているのは、手縫いされた青フェルトの・・・多分、お守り?

 

「お互いこれからも頑張っていこう」

 

解散間際に、一緒に頑張ってきた仲間から手渡されたらしいです。

 

みんないいやつ

 

外野からなんと言われようとも、前を見て信じ続けて良かったね。

目には見えないけど、1番っ子はこの三年間で何物にも代えがたいものをしっかりと獲得することができました。

 

支えと感謝

卒業式までにたくさんの感謝を手紙にして配ったそうです。

 

感謝を伝えられる人は、「ありがとう」を言ってもらえる人になる。

見守ってくれる人の存在に気付けた人は、誰かを支えられる人になる。

背中を押してもらえる有り難さを知った人は、心から応援できる人になる。

 

一人では、決して前に進めなかった。

それを分かっている1番っ子は、きっと社会の中でたくさんの人と出会い、助け合いながら生きていけるようになるでしょう。

 

さぁ、来月からは高校生です。

頑張れ、1番っ子!

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