いじめが発覚した際、加害者側の子どもたちから
『遊んでいるつもりだった』
『(被害者が)そこまで嫌がっているなんて知らなかった』
という言い分をよく聞きます。
大人は
子どもだから分からなかったんだね~、うんうん。
みたいな気持ちになることもあるでしょうが・・・。
今回は、それに対して
嘘つけ。集団でアプローチしている時点で「相手に苦痛を与えている」「いじめている」っていう自覚ありまくりでしょ!
みたいな話です。
加害者の集団化
数多くの研究・調査によって、いじめの集団性は明らかになってきています。
- 文部省いじめ問題研究会(1997)は「学校におけるいじめでは、標的は一人の子どもになるのが普通」
- 橋本氏(1999)は「子どもたちの集団内の相互作用によって深刻化していく現象である」
- 世界的ないじめ研究第一人者がいるノルウェーのベルゲン大学では「一人の子どもが二人または三人のグループによって嫌がらせを受けるのが大多数のケース」
- 下田氏(2014)は「中学生までに加害の経験率が被害を上回る傾向にある」
と述べています。
これは多くのいじめが
「加害者の集団化」に基づいて行われていることを示唆しています。
以上の実体験も、すべてが集団によるものです。
なぜ加害者は攻撃をするために集団化するのでしょうか?
これは加害者側に
「集団でやることによるメリット」が存在するからです。
いじめ加害者集団の主要メンバー
いじめにかかわる人間の構造化と言えば、森田氏の「いじめの4層構造」が有名です。
いじめ2.0(愛育出版)より引用
被害者を中心にして囲い込むように
- 加害者(首謀者)
- 観衆
- 傍観者
がいます。
加害者はいじめを行う首謀者、いわばリーダー格です。万能感や優越感、漠然とした不安やストレスと共に強い攻撃傾向や懲罰嗜好を内に秘めています。そして身近なところからいじめやすそうな人間を見つけ出し、攻撃します。多くのいじめはここから発生します。内藤氏(2001)は「いじめは加害者自身が大きな損失を被ってまで特定の個人をいじめ続けるということはほとんどなく『やっても大丈夫』『やった方が得だ』という利害構造に支えられている」と述べています。つまり自分にダメージを与える能力や地位がある、又はその可能性を感じさせる相手には絶対に攻撃を仕掛けません。集団いじめは一人の被害者に対し多数の加害者がいるように見えます。しかし首謀者の社会的スキルが高い場合、彼らはこの「多数の加害者(いじめ行為に直接加わる観衆)」の中で上手に身を隠すと考えられます。まるでコバエのように。発生初期は一匹で周りを飛んでて鬱陶しい程度ですが、あっという間に仲間を増やしみんなでひと塊、不快な集合体のようになります。しかし実際は他の加害者がいじめをするように主導しながら上手に大人の目を掻い潜り行きを潜めているのです。集団いじめが発生している場合、この首謀者を見つけ出し、明らかにすることが早期解決のカギ、そしてその後の抑止力となるでしょう。
観衆は首謀者の援護者です。彼らは被害者が苦しむさまをそばで観察しています。よってどのようないじめが行われたのか、その詳細を知っている人物でもあります。彼らは利害構造を計算した上で加害者側に立っています。そしていじめ行為を囃し立て首謀者を支持します。 思春期にありがちな規範意識の低下や同調性の高まり、そもそもが精神的に未熟である等様々な理由により、首謀者と共にいじめ行為を楽しみます。又は過去にいじめられた経験から「次のターゲット」に自分がならないように、自分を守るために首謀者の攻撃性を被害者に向けさせようと促している場合もあります。どちらにせよ観衆の人数が多い程、首謀者はいじめ行為に正当性を覚え、やる気が増し、エスカレートしていきます。最初はそばで囃し立てていただけですが、利害構造に支配された彼らのなかには、首謀者に指示されるといとも簡単にいじめ行為に加わるようになる者もいます。これにより「いじめを行う仲間集団」が形成されていきます。いじめ行為に加わってしまった観衆は主要加害者となり、首謀者の代わりに被害者に直接苦しみを与える役に回ることもあります。彼らはさながら金魚の糞です。金魚である首謀者に付いて回りいじめをします。本体である金魚から断ち切られば、底で流れに揺らぐくらいしかできません。自分の考えで動ける程の主体性はまだ育っていないのです。彼らの規範意識の低さ・高い同調性、非行にも通じかねない精神的未熟さ、自己保身意識等がエネルギーとなり、いじめはさらに増悪していきます。
傍観者は、いじめ行為を目撃しつつもそれに関わらないように距離を取っている人たちです。ほとんどのいじめケースでは、4層構造の中で一番人数が多いです。被害者の苦痛を感じ取りながらも自分に降りかかるリスクを考慮し関わろうとしなかったり気付かないふりをしている、又は「いじめられる方が悪い」といじめに許容的であり無関心を装い眺めているだけという人もいるでしょう。後者の場合、許容的であるがためにいじめ行為に引きずられて、いつの間にか自分も観衆になってしまうことがあります。逆に内心は許容せず、特に被害者の苦痛を理解し心を痛めることができる(情緒的共感性が高い)人は、そのような事態には陥りません。また大西氏ら(2010)は 「いじめ行動が集団規範から逸脱し、他生徒の不評を招くと判断する生徒ほどいじめ加害傾向が低い」と述べています。これは「いじめに加担すれば失望される」と予測する(認知的共感性が高い)人は、傍観者になってもいじめ行為に引きずられないことを示唆しています。
ところで、首謀者・観衆について「大きな損失を避ける利害構造に支えられている」とありましたが、これは「自分の評価への影響」も加味されています。いじめ行為をする者の多くはいじめをすることにより傍観者にも自分の強さをドヤァァァと遠回しに誇示しています。しかし特に友人間での評価を強く気にする傾向にある思春期前期では、友人・仲間から「強さを認められる」のではなく「否定」されたとしたら、それは内心穏やかではありません。ましてやいじめ行為をする加害者は「自分の内にある揺るぎない自己価値感」は低く、代わりに「他者からの評価によって得られる自己価値感」は向上、又は下降しやすいといわれています。図で示すように、傍観者は、加害者側につかない限りは「被害者と加害者を囲い込む『その他大勢』」です。その他大勢のなかにいる友人・仲間から非難・否定・拒否されてまでいじめを続けていくことは、加害者の精神衛生面を考えれば難しいはずです。いじめを完全になくすことは難しいかもしれません。しかしいじめの集団化を未然に防いだり、いじめを行う集団の弱体化・縮小を促すことは可能です。近年におけるいじめ予防では、傍観者の情動的共感性や認知的共感性の高さによる「いじめ集団への抑止力」に注目が集まっています。
傍観者だけではありません。
これまでのいじめ記事については後述しますが、どの記事も加害主要メンバーにより1番っ子がその場で泣いたり逃げ出したり、又は暴行される出来事はすべて彼らの保護者や学校教師がいない場で行われました。
これは彼らが利害構造を意識し、身近な大人の前ではあからさまな加害行為をしないように気をつけているということを表しています。
つまり傍観者の外側にいる大人も、教育的権威を発揮すれば「いじめの抑止力」になるのです。
最近はこの教育的権威が、保護者の手からどんどん遠くに離れていってしまっているような、それに合わせて学校側も手放さなければならないかのような、そんな感じがします。
「いじめの抑止力」はどれかがあれば良いというものではありません。
中途半端もダメです。
以上がいじめの4層構造です。
興味深いことに首謀者以外は「被害者」であるか、又は「被害者になる可能性」を持っています。
そしてそれを自覚して身を守ろうとすることがあります。
又、首謀者も状況が変われば加害者ではなく、被害者や観衆、傍観者になる可能性は十分にあります。
いじめの4層構造図の多くは被害者を中心に、周囲を首謀者・観衆・傍観者が囲うようにして描かれています。
しかし見方を変えれば
被害者、観衆、傍観者のそれぞれの立ち位置は首謀者の気分や本人の価値観で入れ替わる、そして首謀者も他の三者になることは十分にあり得る不安定な関係であるということを示唆しています。
最近はいじめが事件化した際、加害者をつるし上げてネットリンチなるものが発生します。
加害者の情報をネット上に流しているのは、「いじめの関係者と内容を知っている傍観者」でしょう。
味方をえれば、今度は加害者が被害者になり、傍観者がいじめを主導する首謀者になり、ネット上から観衆が現れ、観衆の中から過激な主要加害者が生まれ、彼らの攻防をネットを通じて全国の傍観変者が見ている、という構造になります。
首謀者や主要加害者はいじめ行為により強い優越感を得ているのでしょうが、いつか突然奈落の底に突き落とされるかもしれないという、自分の立ち位置の危うさを知っておくべきです。
私は基本「いじめは加害者の強い攻撃性や利害関係により生じる」とし、「被害者には何の落ち度もない」と主張していますが、このような場合だけは「自業自得だろ」というスタンスでいます。
ただ、もし拡散された情報が人違いだった場合、あの攻撃性が全く関係ないひとたちに向かうのだと考えたら、非常に恐ろしいです。
「いじめは仲間を増やして集団でした方がイイ!」になる理由
話を戻します。
いじめの多くは首謀者から発生します。
最初は首謀者が一方的に、被害者にじわりじわりと不快感を与え圧力を掛けるだけですが、
次第に攻撃行動へと変貌し、そばで見ている観衆や傍観者を加害者として引きずり込み、集団化し、エスカレートしていきます。
何故「いじめ行為をする仲間」を増やす必要があるのでしょうか?
・罪の分散と軽減
まず当然として、いじめ行為をした加害者が多い程「みんなだっていじめしてるじゃん」と言いやすくなります。
つまりいじめ行為が露見した後も
「自分以外にもやった奴はいる」
⇒「他の奴も注意しろよ!」
⇒⇒(他の奴が怒られる分、自分への叱責は減る・・・ヨッシャ!)
(一人集中して怒られるのはキツイけど一みんな一緒だから少し楽・・・。ホッ)
と自分だけでなく仲間も悪者にすることができるのです。
又、いじめ行為の加害者が多ければ多い程、責任(罪)の所在が分かりづらく有耶無耶になります。
これこそ首謀者、主要加害者にとって素晴らしいメリットでしょう。
大人には、「積極的にいじめを実行していたのは誰か」を隠すことができるのですから。
また大勢でやればやる程、被害者には甚大な傷を与えることができます。
例え加害者一人一人の行為は「軽微なもの」でも、です。
暴力を振って大ケガを負わせるようなことをしなくても、
悪口を言ったり馬鹿にしたり無視したり仲間外れにしたり。
単発ならば第三者から「その程度のこと」としか評価されない行為でも
継続して集中攻撃すれば、被害者に大きな損害を与えられます。
そのいじめ行為は加害者側個人の目線で見れば「軽微なもの」なので、一人一人が抱く罪悪感は少なく済みます。
つまり「自分がやったこと自体は大したことない」と、被害者に与えた苦しみを少なく見積もることが可能なのです。
・所属・承認欲求を満たすことによって自尊感情が高まる
先程、いじめ行為をする加害者は「自分の内にある揺るぎない自己価値感」は低く、代わりに「他者からの評価によって得られる自己価値感」は向上、又は下降しやすいと述べました。
これは岩見氏ら(2016)が「いじめ加害者は外的な基準に依らない、自分らしくあると感じていられる程度である本来感は低いが、いじめをする中で集団からの承認を得られたりすることで自己価値が外的な基準に支えられ、一時的に随伴性自尊感情が満たされた状態となる」と示唆していることからも考えられます。
この考えに従うと、いじめを複数の友人とすることによって仲間であるという繋がり感や、仲間であるうちは自分はいじめられないという安心感を得て、一緒にすることによって承認欲求が満たされ、それにより自己価値を感じ、自尊感情が高まるのです。
思春期前期は、ただでさえ幼少期から培ってきた自信や価値観が崩れる時期です。
そのなかで「自分らしさ」を持っていない彼らにとって、集団で被害者を傷つけることによって得られる一体感や自尊感情の高まりは好ましい刺激となるのでしょう。
・いじめの正当化
森田氏(1986)は、生徒を対象に「いじめの原因・理由はなんだと思うか」を調査しました。
その際、「相手に悪いところがあるから」の選択率が高かったことから、加害者はいじめ行為の正当化を図ると指摘しています。
これは大前提として、いじめ行為は悪いことであるという自覚を持っており、周囲から非難されることを予測した上で
「言いがかりをつけやすい相手」を見積り、それに合わせた「言い訳」を準備すると考えられます。
つまり首謀者は被害者を事前に観察して、「いじめ行為をしていい理由」を作り上げているのです。
但し「気に入らない」とか「きもい」とか「ウザイ」とかいう理由を作り出しても「いじめ行為をしていい理由」にはなりません。
本来それを被害者に転嫁したところで、そんなことをすること自体が「大いに問題あり」となります。
そこで「ターゲットを作り、いじめ行為をしていい理由」を支持する者の存在が必要になります。
しかし、いじめをいけないものだとはっきりと認識していたり、他者の苦しみ・辛さを分かってあげられたり、「自分はいじめをするような人間にはなりたくないし、そんな奴だと思われたくもない」と思っている人には、支持はされないでしょう。
そこで「規範意識が低く、高い同調性を持ち、精神的に未熟だったり、強い自己保身意識を持つ者」が必要になるのです。
そう、観衆です。
彼らが身近でいじめ行為を支持し、囃し立ててくれればくれるる程、首謀者はいじめそのものに正当性を得ることができるでしょう。
正当性の獲得により罪の意識はさらに軽減されます。
いじめ行為をする加害者にとって、いじめは所属・承認欲求を満たし自尊感情を高めるための重要な手段であり、継続する価値あるものです。
その価値を求める人間が多ければ多い程、継続を支えるための人員、正当化の証が必要となります。
観衆や傍観者の中からいじめ行為に引きずられた「更なる加害者」が出てくるのは、ある意味想定内なのです。
以上から、いじめ行為をする、あるいは仲間を募っている、又は仲間として参加する時点で、
それを「いじめ」と認識し、利益を得るために行っていることは明らかです。
集団化によって、自己責任感や罪悪感の軽減、自己保身を図ってはいますが、
大人が、首謀者を含む加害者と被害者の態度や言い分だけを重視するのではなく
これまでの行動ややり口を、知識を持って検証することができれば、
「いじめだと思っていなかった」「遊んでいるつもりだった」という誤魔化しは、本来通用しないはずです。
過去のいじめを振り返り
このカテゴリーの過去記事には、5つの被害経験を載せています。
これはすごい分かりやすいですね。なんの関わりもない近所に住む首謀者きょうだいが突然現れ、「仲間外れ」から始まりました。そして次第に小学校の下級生や同級生を利用し、自宅付近で遊ぶ1番っ子に危害を加えたり、暴言を浴びせます。しかし大人に注意されるとその集団はすぐに解散します。次にきょうだいは自宅に遊びに来る幼児から低学年の親戚の子どもたちを主導し、いやがらせ行為をします。それも保護者にばれる形で叱責されたため暫くおとなしくなります(逆恨みなのか一年近く顔を会わせると睨まれる日々でしたけど)。しかし暫くすると他の低学年の子をけしかけて1番っ子に刃物を向けさせます。けしかけた本人はその場にはいませんでした。しかしそれも聞き取り調査の結果すぐに露見し、学校から保護者に注意が行きました。
軽度障害児のいじめ問題②3歳で中学生男子sのターゲットにされる
これは事の発端直後から「暴言」や「二階から物を投げてくる」明らかな攻撃行動が見られました。しかも集団全員でいきなり。彼らは1番っ子や私だけをターゲットにして加害行為を行っていたわけではなく、近隣住民という非常に広範囲でアバウトな対象を持っていました。堂々とやってきたので当然、学校・保護者にばれて注意され、最も近隣の子が代表して(?)親と共に謝りに我が家に訪問。謝った子から後悔するような様子が見られますが、他のメンバーは翌日に悪びれる様子も私に向けてなくさわやかな笑顔で声を掛けてきます。そして相変わらず近所の人に対する迷惑行為を続けて・・・・。
これは首謀者に小1から卒業まで粘着されるという、特に嫌~~~~な経験でした。低学年時代の加害行動は未熟さにより明らかでした。そのため集団化してもすぐにバレて大人から注意され、解散していました。しかし高学年になってからは巧妙に隠しながら長期にわたり少しずつ集団化し、確実に1番っ子の心をえぐってくれました。この手口や攻撃行動の種類については、他記事でもう少し掘り下げた方がいいでしょう。最近は、大人には分かりにくい手口で、長期にわたり集団で行う陰湿ないじめ行為が目立ちます。この経験を掘り下げていけば「分かりやすい(?)例」になるかもしれません。
いじめ集団は着実に大きくなっていきましたが、卒業という形であっけなく解散しました。これはのちに記事にする予定の後日談ですが、いじめ集団は私が把握しているだけでも15人近い規模でしたが中学入学以降の彼らは、首謀者(他校に進学)と「他一人」を除いては1番っ子と普通に接してくれるし、なかには現在「親友」と呼び合う仲の子もいます(親の私としては心中複雑ですけど)。そしてこの「他一人」が現在も判断の難しい微妙な嫌がらせ行為を繰り返ししてきたり、機会を伺ってはその仲間を募っている様子であります。元祖首謀者とは離れることができたのに、見事に「執拗性」「陰湿性」を引き継ぐ『首謀者二世』が出来上がっていました。「微妙」なやり口ばかりなので色々難しい面もありますが、こちらとしても水際対策を徹底して攻防戦を繰り広げているところです。昨年度は観衆のなかから暴力行為をする子まで出てきましたが、学校協力のもと解散させました。いまのところはこちらが優位な状況かと。
「うちの子を簡単にいじめられると思うな!こっちの経歴舐めんなよ。障害児者支援の仕事なのに学校でのいじめの対応までしてきたんだよ。いい加減頭にきてんだよ。お前のカスみたいな自己肯定感なんか絶対高めてやんねぇ!!」と言ってやりたい今日この頃。いや、言いませんけど。私、大人だし。
軽度障害児のいじめ問題④中学開始直後に2年生男子sに追い回される
コロナの影響で中学校生活が滞り悶々と過ごしていた初夏。1学年上の子たちが6人程度で近所に屯するようになりました。 彼らはある日突然、夕方用事で家の外に出た1番っ子を自転車で追いかけ回し、驚き逃げるさまを見て面白がり、みんなでテンション上げて変な奇声出してオラオラ騒ぐことを始めました。自転車で追いかけ回していたのは2~3人。律儀に我が家に逃げ込む1番っ子を笑顔で最後まで追いかけて来たので、玄関先にいた私はバッチリお顔を拝ませていただきました。気持ちの悪い嫌な笑顔でしたねー。他の子たちは観衆となり遠巻きに大声で笑い囃し立てていました。結果的には短かったですが、連日続いたのでキレた父親が出て行き彼らの方に無言でずかずか近づいて行ったら何も言わずに逃げていき、それ以降二度と屯することはなくなりました。1番っ子は、誰とも関わりなく今現在も言葉を交わしたことすらないような仲で、直接危害を加えられてもいません。なので「いじめ」だと訴えても、あちら側には「そっちの気のせい」とか「自分たちで遊んでいただけ」ととぼける余地くらいはあるでしょう。でもそもそも本当に「遊んでいただけ」なら、歩道をただ無言で歩いてくる父親を見て慌てて逃げ出す必要はありませんから。結局上級生6人で支援級在籍の下級生1人をいじめて楽しもうとしていたら、そのバックにいるガタイのいいオッサンが出てきてこっちに向かって歩いてきたから、ビックリして咄嗟に逃げ出しちゃったってだけの話です。
こちらも小6のときに、それまで何の関りもない子たちから集団でいきなり危害を加えられるところから始まりました。普段からいきがっていましたけど警察の方々が自宅凸をしたら「どの子も一人一人と会ってみたらフツーのポヤーとした子(刑事さん曰く)」で「やっていません」とオドオドしていたとな。親は親で「我が子を信じる」とカッコつけながら、その実「親としての責任放棄」バリの対応をします。中学入学以降も登下校中に会うと1番っ子に吸いかけの煙草を渡して来たり後をつけ回してきたり。相変わらず地域の方々に向けてドヤ顔で迷惑行為とかもしていましたが誰にも相手にされず、秋に見かけたときはなんだか寂しそうでしたね。「一生懸命アピールしているのにもう誰も相手にしてくれない」って。冬以降は大人しくなり彼らが卒業してからは見かけることもなくなりました。
②と⑤の中学生は、どちらも同様に最初から最後まで固定化されたメンバーだけでした。
首謀者とか観衆とかもなく、しいて言うなら周囲の人たちは遠巻きに関わらないように無視していました。
彼らは外交的で人懐っこいわりに、実際は積極的に仲間を増やすことはできないようです。
攻撃対象は複数で、行動は短絡的且つ場当たり的でした。
そして自分たちの加害・迷惑行為を正面から注意する大人が現れても、集団を解散するということもありませんでした。
彼らは精神的に未熟であり、それを補い合うように繋がり合える数少ない仲間であり、自分たちに注意を向けてくれる「誰か」を求めているようでした。
その延長に加害行為があり、いじめが主目的ではなかったのだと思います。
未熟だから、一緒に居なければだめだし、自分たちと同じような仲間は他にはいないし、欲求を満たす術が分からないし、後先考えて行動できないし、希少で大事な仲間を盾にして隠れることもできないし、誤魔化すこともできない。
彼らは目立つような悪質性を見せることもありますが、首謀者になるだけの「器」ではないのでしょう。
どちらかと言うと、首謀者はこのように未熟だったり様々な特徴を持つ友人を仲間として引きずり込み、加害者として仲間が注目されるようにけしかけて自分は後ろに隠れます。
仲間との繫がりは薄いまま、しかしいじめている間は強く繋がっているように思わせて、バレても第三者には自分の責任(罪)は少なく映るように普段から保険をかけていたり・・・。
認知されるいじめ件数が増加しても、これまでと変わらず加害者側への対応が難しいのは、このためなのかもしれません。
このような人間に主導される形で行われるいじめは、一つ一つの行為が例え軽微なものであっても、被害者にとっては逃げる隙のない蟻地獄のようです。
慌てても、時間をかけて藻掻いても、自分で這い上がって抜け出すことはできません。
「いじめられる方にも問題がある」「つけ込まれる隙があるからやられるんだ」という考えや、加害者の誤魔化し・正当化を支持する大人は
被害者を追いつめるだけでなく、首謀者に引きずり込まれて一緒に加害行為をしているという可能性に早く気づきましょう。
被害者にアドバイスをしているつもりでも、さらに困惑させ傷つけ追い詰めているだけなのです。
しつこいようですが、いじめ集団は利害関係で繋がっています。
被害者本人の行動を変えたところでなんの効果もありません。
しかし先述した通り、いじめの四層構造は不安定です。
つまり脆く崩れやすいです。
構成メンバーを把握した大人が早期に介入すれば、この4層構造を壊すことは可能です。
壊されると観衆はすぐに解散します。
私の経験上(プライベートでもビジネスでも)、その後の首謀者はそれまでと同様に学校生活を表面上は平和・快適に送ります。
教師から見て「問題のない普通の生徒」として生活していますが、虎視眈々と被害者の隙を伺っています。
「いじめは悪いこと」と分かっていても、一度利益を享受すると
なかなかそれを手放すことはできないみたいです。
まるで麻薬ですね。
構成メンバーを把握することは一筋縄でいかないかもしれませんが、被害者であるお子さんと保護者が協力すればできなくはありません。
すごい地道な作業の繰り返しが必要ですが。
これは「被害者の特徴といじめ対策」についてお話するときに言及したいと思います。
執着性の強い首謀者と主要加害者の動向を気にし続ける必要はありますが、一度集団を解散させられれば彼らのやり口は分かるようになっているはず。
今後も同じようないじめをしようと画策してくる可能性がありますが、今度は「それをどう跳ね返すか」を大人が集団となり対応すればいいのです。
お子さんが友人関係でなんとも言えないトラブルを抱えているようでしたら、
お子さん自身で解決できるようにその場でアドバイスするよりも
先ずは慎重に耳を傾けて誰のもとで何が起こっているのかを精査することをお勧めします。
今日も読んで頂きありがとうございました☆